2015年1月8日から列車の発着が途絶えている浦河駅のホーム

JR北海道は2020年をめどに、4路線を廃止してバス転換する方針を打ち出しています。その中の一つ、日高本線の廃止区間(鵡川~様似)は、100㎞を超える長大路線であり、廃止によって、日高地方のほとんどの自治体から鉄路が消えることになります。

同区間は2015年1月に発生した高波により、土砂流出により甚大な被害を受けたほか、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震で、沙流川橋りょうに軌道変位・ひび割れなど壊滅的な被害を受けており、現在も復旧されていません。現在、日高本線はどのような姿を見せているのか。「列車が走らなくなった鉄路」を訪れました。

日高本線の起点となる苫小牧駅

日高本線は、1927年に国が苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道を買収して国有化されました。延伸開業を繰り返し、1937年に様似まで開通しています。全長146.5 kmを誇り、太平洋に沿って日高地方の町を結んでいます。1986年11月まで全線を「急行えりも」が運行していましたが、急行が廃止されてからは普通列車のみとなり、本線とは名ばかりのローカル線になりました。

沿線はサラブレットの産地
車窓から名産の「日高昆布」を干す光景も見られていました

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日高本線は災害と共に歴史を歩んできました。太平洋の間際に敷設されているため、高波の影響を受けやすい上に地盤が弱く、これまでも数々の被害を受けています。

ジェットコースターのようにゆがんだ鉄路

1970年1月
悪天候により大狩部駅付近のバラストが50mにわたって抜け落ち、線路が宙づりになる被害が発生しました。

1973年9月
9月1日に急行列車が土砂崩れに巻き込まれて脱線する事故が発生。その2日後の大雨により、日高門別~節婦間の10箇所以上の土砂崩れや、厚賀~節婦で土砂崩れにより貨物列車が脱線、さらに鵡川~節婦間も不通となるなど、広範囲にわたり被害を受けています

1981年~1982年
記録的な豪雨の影響で日高門別~様似が不通となり、翌3月21日に発生した浦河沖地震により40箇所以上で陥没が発生し、静内~様似が不通となりました。

橋梁の一部らしきものが転がっている

2015年1月7日から8日にかけて、猛烈に発達した低気圧が北海道を直撃。高波による土砂流出の影響で、鵡川~様似(116.0㎞)が不通になりました。2018年9月6日には、北海道胆振東部地震が発生し、苫小牧~鵡川も不通となるほか、勇払~浜厚真の厚真川橋梁の桁ずれや軌道変位が生じるなど被害が拡大しました。

今にも列車が到着しそうな雰囲気の浦河駅

JR北海道は『自社単独では老朽土木構造物の更新を含め「安全な鉄道サービス」を持続的に維持するための費用を確保できない線区』とし、廃止の方針を打ち出しています。最初は沿線自治体から反対の声が上がったものの、輸送密度が200人/日以下と極端に利用が少ないため、現在では廃止を容認しています。

駅は街から離れていて賑わいが見られない

現在、同区間は代行バスが運転されており、駅はバス待合所として機能しています。自家用車で移動する人も多く、浦河町まで伸びる高速道路の建設が進められていることから、鉄道の意義は薄れています。列車が走らなくなってから5年も経過し、すでに鉄道は忘れられた存在であることを実感しました。

列車の発着はなくても「駅」としての機能は保たれている

JR北海道の経営がひっ迫していることから、今後は線路の撤去や駅舎の取り壊しが進められることが予測されます。日高本線は、さよなら列車やセレモニーもなく、歴史に幕を下ろすことでしょう。そのときは近づいています。消えてしまわないうちに日高本線を脳裏に焼き付けてください。

文/写真:吉田匡和