久里浜線スタート【駅ぶら03】京浜急行140

2020.08.21

トップ画像は久里浜線ではありません。3月25日に大森海岸駅で撮影したターキッシュエアラインラッピングの「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」です。珍しかったのでここで使っちゃいました。

いよいよ京急線で最後に残った久里浜線に乗ります。走り始める前に久里浜線の歴史を簡単に振り返っておきます。

1941年(昭和16年)湘南電気鉄道は京浜電気鉄道と合併し京浜電気鉄道になりました。

戦時下の「陸上交通事業調整法」が施行され、1942年(昭和17年)京浜電気鉄道、東京横浜電鉄、小田急電鉄(2年後に京王電鉄も加わります)が合併して東京急行電鉄(いわゆる「大東急」)になります。大東急は、同年(1942年/昭和17年)横須賀堀ノ内駅(現・堀ノ内駅)から久里浜仮駅を開業。終戦後の1948年(昭和23年)、大東急から京浜急行電鉄が分離発足。

1959年(昭和34年)横須賀堀ノ内駅~湘南久里浜駅(現・京急久里浜駅)間が複線化されます。ここから少しずつ延伸されます。

1963年(昭和38年)京浜久里浜駅(現・京急久里浜駅)~野比駅(現・YRP野比駅)

1966年(昭和41年)野比(現・YRP野比)~津久井浜

津久井浜駅~三浦海岸駅(最初から複線)

1975年(昭和50年)三浦海岸駅~三崎口駅

さらに複線化も行われました。

1980年(昭和55年)京浜長沢駅(現・京急長沢駅)~津久井浜駅

駅名を改称。

1987年(昭和62年)京浜久里浜駅 → 京急久里浜駅

京浜長沢駅  → 京急長沢駅

1998年(平成10年)野比駅    → YRP野比駅

当初湘南電気鉄道の計画は、三浦半島を一周し途中から分岐して三崎に至る支線でした。京浜急行も油壺までの延伸を計画し工事も国道134号線辺りまで行われましたが、紆余曲折があって計画は撤回されました。

歴史から京急本線は、堀ノ内駅~浦賀駅ですが、ほとんどの優等列車が堀ノ内駅から久里浜線に入ります。

堀ノ内駅を出た空港線は左に行く本線浦賀方面から右に分岐します。三浦半島の内陸部を進みます。久里浜線は後半で海の傍を通りますが、ほとんど海は見えないのです。左側には、横須賀市立大津中学校、神奈川県立横須賀大津高等学校が国道134号線久里浜街道をはさんで並んでいます。堀ノ内駅から0.8kmで新大津駅。相対式ホーム2面2線です。

上りホーム、三崎口方面です。この駅の撮影は夕方なので光線が赤っぽいです。

こちらは堀ノ内駅側。神奈川県立横須賀大津高等学校の校舎が見えます。下りホームの下からも町並が見えています。

三崎口方面に移動して堀ノ内駅側。跨線橋が西からの陽光でトンでます。

駅名標。地元と神奈川県から「横須賀高等女学校(現・神奈川県立横須賀大津高等学校)」に駅を設置して欲しいと請願され、1942年(昭和17年)戦時下の大東急によって「鳴神駅」として開業されました。この鳴神というのは、当時日本軍が占領していたアリューシャン列島キスカ島の日本名だそうです。

1948年(昭和23年)新大津駅に改称。同年、京浜急行電鉄が大東急から分離発足、京急の駅になります。2007年(平成19年)バリアフリー化のエレベーター・跨線橋が設置されました。

改札口は上りホームの三崎口側にあります。時計は17時近くを指しています。この日は堀ノ内駅から三崎口駅まで前面展望を撮った後、各駅を【駅ぶら】しながら新大津駅まで戻ってきたのでした。新大津駅がこの日最後の撮影だったのです。1月から始めた京急さんの【駅ぶら】も春分が近づいてこんな時間まで写真が撮れる様になりました。

では次回は新大津駅周辺をブラブラします。【駅ぶら03】京浜急行141 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

※2020年8月21日11時34分、駅名の記述を訂正させていただきました。(鉄道チャンネル編集部)


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