※2020年6月撮影

トップ画像は、西武池袋線高麗駅ホームを出発する快速急行池袋行。

【駅ぶら】は、高麗駅の北側、国道299号線の台交差点を北に150mほどのところにあった「台の高札場跡」を右折して巾着田の方に歩いています。

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大野屋という暖簾が下がっていますが、さて古道具屋さんなのか店番のネコ君に訊いても分からない。(笑)”もの”が並んでいますが販売しているのでしょうか。価格がヨク分かりません。

※2020年6月撮影

その先に勝海舟が文字を書いた宿老庵貫斎翁を顕彰する筆塚があります。右の石が勝海舟の揮毫です。

※2020年6月撮影

筆塚から先の方に石碑が見えます。またまた眠たい(ピントの甘い)写真ですみません。

※2020年6月撮影

「水元」と書いてあると思ったら「水天の碑」と日高市の説明板がありました。

※2020年6月撮影

以下がその内容です。

所在地 日高市大字台

水天の碑は、天保年代(1830~1844)に繰り返された干魃(かんばつ)、大洪水などの天災や水難事故を鎮(しず)めるために、台村の人々が建立したものである。この碑は、高麗川を利用した西川材運送のための筏(いかだ)流しとも深い関連がある。筏流しは江戸時代初期から始ったと伝えられている。天明年代(1781~1789)には、更に災いが度重なり、記録によると、この地方を飢饉(ききん)が襲うなど、災難が続いて起こったので、この水天の碑の建立の際には、五日五夜の大念仏の行事が催されたと伝えられている。このようにして建てられた水天の碑も、明治になって、車馬の発達と共に筏流しが衰退したこともあって、今では忘れられた存在となっている。 昭和五十七年三月 日高市

昭和57年と言えば1982年。約40年前です。

水天の碑のところを左折して100mほどでまた案内がありました。

※2020年6月撮影

その後に古い馬頭観音。

※2020年6月撮影

馬頭観音の前を案内に従って東に折れて進むと「鹿台堰魚道(ろくだいせきぎょどう)」という看板、高麗川に出ました。

※2020年6月撮影

その魚道で子供たちが水遊びをしています。巾着田は対岸を右側に進んだところです。

※2020年6月撮影

巾着田に行くには、左に見える鹿台橋を渡って対岸を大回りします。夏至も近いのですが、流石に夕暮れが近づいてきたので巾着田はパスしました。

※2020年6月撮影

高麗駅に戻るのに駅の東側の踏切を渡ります。こちらは飯能駅方面。

※2020年6月撮影

ホーム、かつて貨物運送時代の名残でしょうか、側線と更地が広がっています。

※2020年6月撮影

ホーム上屋の蛍光灯が明るく見える時刻です。

※2020年6月撮影

この日の撮影は高麗駅まででした。次回は急速に大自然の中に入ってゆきます

(写真・文章/住田至朗)