究極の意味?【なんちゃって木造駅舎カタログ】紀勢本線11/180 二木島駅
※2020年12月撮影
トップ画像は、紀勢本線二木島(にぎしま)駅。この駅が「究極的」でした。
何が「究極的」なのか、おいおい説明しましす。
2,933mの曽根トンネルで一気にショートカットする紀勢本線とは異なりレンタカーでたどる国道311号線は、長いトンネルを抜けながらも散在する集落を結んで進みました。途中でこの様な立札を発見。
※2020年12月撮影
「熊野市指定文化財 史跡 楯ヶ崎遠見番所跡」です。説明板の内容。
「紀州藩は、外国船を看視するため、領内の海岸に遠見番所15ヵ所を設けましたが、その中の一つが「楯ヶ崎遠見番所」です。甫母と須野の境の山頂に築いたため展望のよい場所です。
番所跡は東西30メートル、南北8メートルの広さがあり、南側の六段と、北側の広い場所は番人たちが畑を耕した跡と考えられます。番人は二人ずつで、月交代ですが、須野の浜田家は代々勤務し、幕末に及んでいます。このような史跡が残っている地は他に例がありません。
指定 昭和四十四年七月十七日 熊野市教育委員会」
さらに国道311号線から二木島の集落に降りて行く細い道に入り、二木島湾に沿って漁師町を進みました。
※2020年12月撮影
湾の最奥、逢川を渡って県道を逢川に沿って北上し紀勢本線の線路をくぐったところで左に曲がると二木島駅への坂道になっていました。これが駅へのアプローチ。坂の下が三重県道572号線。その向こうを逢川が流れています。紀勢本線の曽根トンネル坑口が見えています。
※2020年12月撮影
その先がトップ画像です。駅舎は、線路と崖の間にあるのでこれ以外のカメラ位置がありません。これが究極的という意味です。この駅も駅舎はブロック積み。単式ホーム1面で列車交換はできません。しかし【木造駅舎カタログ】で駅舎の写真が1枚しかないのはおそらくこの駅だけです。(笑)周囲の私有地あらなら駅舎が見えるかもしれませんが・・・。
※2020年12月撮影
二木島駅は、紀勢本線が最後に開通した三木里駅~新鹿駅間にあって賀田駅同様、1959年(昭和34年)7月に開業しています。1983年(昭和58年)駅は無人化。国鉄分割民営化でJR東海の駅になっています。
国道311号線に戻り新鹿駅を目指しました。紀勢本線は、逢神坂トンネル(2,534m)と新鹿トンネルでショートカットされ駅間はわずか4.0kmです。
ようやく311号線が新鹿の集落に入って里川を渡った所に「熊野市指定文化財」がありました。
※2020年12月撮影
これが「新鹿の巡礼道標」です。
※2020年12月撮影
判読が難しいですが、正面には
「右 奈(を崩した変体かな)ち山
左 いせ道
巡礼道標左側には
すぐ いせ道」
と刻まれている様です。「すぐ」は「まっすぐ」という意味。新鹿は熊野街道の主要な宿場だったのです。
※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。
(写真・文章/住田至朗)