武総鉄道と総州鉄道が合併し、総武鉄道が明治期に線路を敷いた東京・千葉を結ぶ在来線、総武線。

その途中にある成東駅(なるとうえき)は、東金線が接続し、房総特急 しおさい もとまる駅。

また、JR東日本のんびりホリデーSuicaパス・休日おでかけパスの利用エリアで総武線の最も東側の末端駅ということで、土日などになると同パスを利用した人たちの姿もある。

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成東駅は、総武鉄道が銚子駅まで線路を延伸したのにあわせ、1897(明治30)年に開業。房総鉄道が敷いた現在の東金線の線路が伸びてきて、成東へ到達したのがその14年後の1911(明治44)年。

画像↑↑↑は、成東駅の海側にある成東踏切からみた光景。東金線を往復する209系が成東駅へ進入。千葉を1512に出た1653Mで、成東1559着。8分後に成東1607発 大網行きで再び折り返していく。

成東駅のユニークな構造は、この東金線の電車が発着する0番線。千葉ではめずらしい0番線で、しかも東金線むけ成東駅0番線は、駅舎手前の車止めで線路が途切れる単式ホーム。

ホーム全体は2面4線というリッチなつくりだけど、総武線との接続や駅舎にちかいなどの理由から、同一ホームで東金線電車と乗り換えられる1番のりばに総武線特急や普通電車の上下列車がとまる光景がみられる。

鉄道好きにとっては、こうした接続シーンをぼーっとみているのもたのしい。

そして辛く重い歴史も

成東駅は、太平洋戦争末期に激しい空襲を受けた辛い歴史もある。その慰霊碑が、駅前にたっている。そこには、こう記されている。

「昭和20年8月13日、敵機グラマンの攻撃を受け、成東駅構内下り1番線に停留中の軍弾薬積載貨車は11時40分、火煙を発した。これを認めた国鉄職員15名・将兵27名は、被害を最小限度に止めようと機を失せず、身を挺して貨車の隔離消火に努め、いっぽう、旅客および町民を避難させたが、必死の健闘も空しく11時58分、弾薬はついに爆発して全員、ことごとく壮絶な最後を遂げ、平和の礎と化しました。昭和32年8月、十三回忌にあたり、その功績を称え、町民並びに鉄道職員をはじめ、多数の方々のご支援によりここに礎の碑を建立せられました」

―――こんど成東駅に降り立ったときは、こうした駅前にたつ石碑や、蒸気機関車の動輪も、チェックしてみて。

千葉駅行きのちばフラワーバスも発着する。

成東駅を背にして海側をみる。右へカーブする線路が東金線、左の直進が総武線。上を行く高架道路は国道126号。

成東駅。左が0番のりばにとまる東金線電車。右が総武線電車。