壮麗な二代目駅舎と伊能忠敬像の佐原駅【木造駅舎カタログ】成田線05/273
※2021年12月撮影
トップ画像は、成田線佐原(さわら)駅。2011年(平成23年)に改築された壮麗な二代目駅舎です。駅前にはロータリーがあり日本全国を測量した伊能忠敬の銅像が建っています。
筆者は、JR九州日豊本線杵築(きつき)駅の改築された木造駅舎を想起しました。杵築駅はオリジナル駅舎を活かした改築ですが、佐原駅は「観光交流センター」併設のために大きなオリジナルの駅舎に改築されています。
※2021年12月撮影
駅は、佐原市街地の北側にあります。国が指定した佐原重要伝統的建造物群保存地区には、利根川の水運から発展した商家が並んでいます。駅舎は、この商家をイメージしている様です。
※2021年12月撮影
筆者は、古い木造駅舎が大好きですが佐原駅舎の様な新しく改築された駅舎でも屋根瓦の美しい木造“風”駅舎(実際は鉄骨造(S造))は高く評価します。大晦日も近い12月末の撮影なので門松が飾られています。
※2021年12月撮影
こちらは2010年1月に訪問した佐原駅。改築前の大正時代に建てられた二代目駅舎。「小江戸佐原」をイメージしたリニューアルが2007年(平成19年)に実施され「佐原駅」と書かれた暖簾が下がっています。当時は「駅そば」があって食べた記憶があります。暖簾と駅名板はそのまま現在の駅舎に受け継がれているのではないかな。
※2010年1月撮影
では駅前ロータリーをグルッと一周しながら駅舎を眺めます。
※2021年12月撮影
2015年(平成27年)に整備された広い駅前広場、ロータリーがあります。
※2021年12月撮影
駅前ロータリーの南側から伊能忠敬像。
※2021年12月撮影
伊能忠敬は、九十九里に生まれ、酒造家だった佐原村の伊能家に17歳で婿入りし伊能忠敬になりました。当時の佐原村は天領で武士はいませんでした。50歳で隠居した忠敬は江戸に出て若い頃から学んだ暦学に研きをかける中で天体観測の技術を習得。忠敬は、56歳と高齢でありながら蝦夷地の測量に成功し、全国を測量し地図を作った後、1818年(文政元年)74歳で死去しています。大政奉還(1867年)のほぼ50年前でした。
ロータリーの中は駐車スペースになっています。
※2021年12月撮影
佐原駅に北口はありません。左の南北自由通路で線路の北側に渡ります。
※2021年12月撮影
ほぼ一周して駅舎のアップ。素晴らしい造形です。
※2021年12月撮影
正面から伊能忠敬翁像。逆光です。名字帯刀を許された忠敬は刀をさして測量する姿です。
※2021年12月撮影
駅舎出入口。
※2021年12月撮影
順光側から忠敬像。実際に測量する時、伊能忠敬は方位磁針が狂うのを防ぐために刀には竹光を所持していたそうです。
※2021年12月撮影
※タイトルは『木造駅舎』となっていますが、厳密に「構造として木造建築」の駅舎だけをとりあげているワケではございません。あくまでも筆者が好感を持った駅舎を恣意的に選ばせていただいています。外観が明らかに木造建築と異なる場合でも、煩雑を避けるためタイトルは【木造駅舎カタログ】のまま進行いたします。悪しからずご了承ください。
※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。
※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。
(写真・文章/住田至朗)