※2023年8月撮影

トップ画像は「高幡不動駅」南口駅前ロータリーから「高幡不動尊参道」を見ています。

参道に行く前に「高幡不動駅」駅舎を駅前ロータリーの反対側から。

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大きい駅です。

※2023年8月撮影

参道を歩いて「高幡不動尊前」交差点まで来ました。目の前が「高幡山明王院金剛寺」です。

※2023年8月撮影

実は、実家で自家用車に乗っていた頃から筆者自身がクルマの所有自体をやめるまでほぼ20年間、正月明けに「高幡不動尊」で交通安全祈願をしていただいてきました。ですからほぼ毎年クルマでこちらにお参りに来ていたのです。でも歩いて来るのはこれが初めて。

何となく不思議な感慨を感じながら「仁王門」をくぐります。仁王尊は室町時代の作です。

※高幡不動尊金剛寺のサイトを参照しています

※2023年8月撮影

日野市教育委員会による説明板に拠れば

「重要文化財 金剛寺仁王門 昭和21年(1946)11月29日指定

桁行3間、梁行2間の堂々たる偉容を誇る仁王門は建築時期を特定できる史料がないが、建築様式から室町時代後期(15世紀中頃から16世紀中頃)の建立と考えられている。江戸時代の地誌には単層茅葺、楼門(2階建)、二様の図が見られ、仁王門は何度かその上部構造を変えてきたようである。昭和34年から35年にかけて行われた解体修理工事の木組の調査で、当時は外見上単層となっていたが、本来は楼門として計画されていたことを疑う余地がなくなった。そのため、重層入母屋造に復元され、屋根は茅葺型の銅板葺となった。平成27年には屋根の葺替と耐震補強工事が行われた。

平成27年(2015)10月1日」

太陽光が異なっているのは、撮影日が異なっているからです。「仁王門」を入ると左に手水舎、中央に香炉。右は護摩修行をお願いする「お札所/宝輪閣」。

※2023年8月撮影

お不動様にお参りする前に手水で手・口を浄めます。

※2023年8月撮影

「仁王門」を境内から。参道が真っ直ぐ見えています。

※2023年8月撮影

平安時代初期の様式を模した美しい「五重塔」。塔高39.8m、総高45m。

※2023年8月撮影

国指定重要文化財の「不動堂」。装飾の無い、簡素にして豪壮な鎌倉様式のお堂です。

※2023年8月撮影

日野市教育委員会に拠れば、

「鎌倉時代創建の不動堂は、現在地の西南方の山中にあったが、建武2年(1335)8月4日の大風により、大木が倒れて損壊し時の住僧儀海上人が康永元年(1342)現在地に移建した東京都最古の文化財建造物である。儀海上人はこの間の経緯を不動明王像光背の下部に「・・・・重ねて修造し奉る本堂一宇ならびに二童子尊體・・・・」と刻み、更に昭和61年に発見された不動明王像胎内銘札にも「・・・・重ねて修造し奉る本堂一宇ならびに二童子尊體・・・・」と記されており、鎌倉時代の堂を修理したことは確実である。

この不動堂は関東地方の中世密教建築の代表的遺構であり、昭和31年からの解体復元修理の際、後世の修理で付加された材はすべて取り除かれ創建時の豪壮・簡素な堂に蘇ったが、鎌倉時代様式の〈中略〉(部材)が現存しており、簡素な和様を基礎に〈中略〉一部に禅宗様式との折衷が見られる。〈後略〉」

堂内でお不動様にお参りしました。重要文化財である「丈六不動明王像」修理の際に身代わり本尊として平成9年(1997)に造立されました。平安後期様式を忠実に継承する280cmの大きな座像です。木彫・漆塗り・極彩色仕上。堂内は厳かな明るさ(あまり明るくない)、手持ちで撮影したのでボケ気味ですが御容赦ください。

※2023年8月撮影(編集部側で写真の一部にモザイクを入れております)

「高幡不動尊金剛寺」の広い境内を回ります。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)