※2023年11月撮影

トップ画像は「多摩川堤通り」に面する「多摩川白衣観音菩薩」。

「多摩川白衣観音菩薩の由来」があります。

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※2023年11月撮影

長い上に少々読み辛い擬・古典調の文章です。筆者なりに内容を要約します。

「天明(1781~1789年)から寛政4年(1792年)にかけて度々大きな台風が襲った。多摩川は洪水を起こし地域は浸水の甚大な被害を受けた。富士山の大噴火(宝永の大噴火ならば1707年:筆者注)による降灰で田畑は全滅するなど悲惨な時代があった。その後明治42年(1909年)までの75年間は平穏であったが、明治43年(1910年)にまた大きな台風が襲来した。多摩川の堤防が決壊、民家を押し流し惨憺たる様相を呈した。その数年後、押立村に近い多摩川に仏像らしきものが流れ着いた。押立村の篤志家が仏像を納屋に大切に保管していた。その噂を聞いた先輩の古老数人がその仏像を譲り受け大山道十字路(現在の大映通り十字路)の大きな榎の木の下にお堂を作り安置した。それ以来「榎観音」として人々に尊崇されてきた。しかし都市化に伴い交通量が急増、道の中のお堂に詣る事が危険になった。そのため現在のこの場所に観音菩薩を移した。遷座の大祭で運慶寺(読み違えているかもしれません:筆者注)住職から白衣観音菩薩であると教えられ榎観音から多摩川白衣観音菩薩に改称した。云々。

平成11年霜月 多摩川観音奉賛会 会長 金井末松」

明治42年の75年前は、1834年(天保5年)、この年春先の雪解け頃に富士山に大雨が降って大規模な雪崩が発生しています。所謂「富士山の大規模雪代災害」です。上の文章でこの災害を富士山の大噴火と誤解されているのではないでしょうか。また「運慶寺」と筆者は読みましたが、布田にある古いお寺「蓮慶寺」かもしれません。

「多摩川白衣観音菩薩の由来」の下の絵です。奥に富士山、手前に観音様。観音様の頭の辺りに「中の島」、その奥に「菅村」の表記。多摩川には、投網をうつ人の姿が見えます。

※2023年11月撮影

撮影している筆者に太陽が当たってプラスティック板の表面に反射しています。見難くてすみません。手持ちなので離れて撮影ができませんでした。

こちらには「宿河原」の文字や、釣り竿をもつ集団などが見えます。

※2023年11月撮影

左下には「天保二年辛卯七月彫×」と読めます。 1831年の多摩川の姿でしょうか。右奥には「大山」。

※×は判読不能の文字

これが「多摩川白衣観音菩薩」のお堂。

※2023年11月撮影

観音様です。

※2023年11月撮影

お堂の背後は公園の四阿になっています。何か案内板があります。

※2023年11月撮影

「調布市教育委員会」による「多摩川の渡し」と「多摩川の筏流し」の説明です。

※2023年11月撮影

※2023年11月撮影

「管の渡し」は、昭和48年(1973年)まであったと書かれています。

つげ義春氏は、水木しげる氏のアシスタントをするために1960年代後半に調布に転居。その後も転居を繰り返しながら基本的には調布、多摩川周辺での生活が続きました。

映画『無能の人』で、主人公(竹中直人)が、競輪場の行き帰りの人を背負って多摩川を渡るシーンがあります。言わば「人力の渡し」です。

竹中直人さん(監督・主演)は、「管の渡し」があった頃の風景をどこかイメージしたのでしょう。

※2023年11月撮影

次回は多摩川の河川敷を散歩します。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)