ここは広島県広島市南区、広島駅から南へ25分ほど歩くとたどりつく、比治山の東側にひっそりとある、段原南第五公園。

この公園に、南段原駅の駅名板と、線路や車輪が保存されている。このちかくに、線路が敷かれ、列車が行き来していたことをいまに伝えている。

それが、軍の専用線として生まれた宇品線

宇品線(うじなせん)は、広島駅から広島港(旧宇品港)へ向けて南下し、広島大学病院をかすめ、現在の「海岸通り」に沿うように線路が敷かれた5.9kmの路線。

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もともと日清戦争の人員・物資輸送を目的とした軍の専用線として敷設され、のちに宇品港から戦争出征する兵士や物資の輸送を担った。

第二次世界大戦後は被災者を港まで運ぶ役割のほか、原爆で壊滅した官庁などがこの宇品線沿線に移設したことから通勤・通学路線としても担い、広島の復興に貢献してきた。

ここ↑↑↑は旧広島南警察署交差点付近にある、丹那駅跡ちかくに置かれた宇品線レールや信号機、踏切設備たち。

あの原爆投下から復興を遂げた“広島のリアルな住宅街”を、こうしてゆっくり歩く時間も、“広島旅”に組み入れたい―――。

このいまこそ、広島ピースツーリズムへ

1945年(昭和20)年8月6日、人類史上最初の原子爆弾で、一瞬のうちに破壊されたヒロシマ(広島県広島市)。

ここ広島では被爆後、「広島平和記念都市建設法」(1949年(昭和24年)公布)にもとづき、爆心地周辺を「恒久平和の象徴の地」として整備し、1955年(昭和30年)に平和記念公園と施設建設が完成。

この原爆で壊滅したヒロシマが、ここまで復興を遂げ、いまもなお平和への祈り・願いを忘れない地として、さらに成長・進化していく姿を、このいまこそ体感・共有したい―――。

それが、あの日の記憶と復興した今の姿をたどるルートを巡る、広島ピースツーリズム。

「新しい広島」をいつでもあちこちで発見できる

筆者も、中学校・高校と、修学旅行で広島を訪れ、暑い日差しのなか被爆体験講話を受けた身。

それでもこうして広島ピースツーリズムで巡ってみると、修学旅行で目の当たりにした広島の風景とはまるで違う。

そう。つねに、ニッポンの復興・進化のシンボルとして、前進している。「新しい広島」をあちこちで発見できる。

たとえば、ひろしまゲートパーク&エディオンピースウイング広島

提供:NEW HIROSHIMA GATEPARK

そのひとつが、ひろしまゲートパーク(HIROSHIMA GATE PARK)。

2023年春、旧広島市民球場跡地に、にぎわいの市民公園として、この 「ひろしまゲートパーク」がオープン。

園内は、「オソトごはん」を体感できる絶品グルメをはじめ、家族みんなで遊べる広場・施設、Wi-Fiありでアウトドアワークができる大屋根ひろば、ストリートスポーツ、などが組み合わさった新ゆったり空間に。

都心に立地する「街なかスタジアム」は可能性無限

(動画引用元:HIROSHIMAスタジアムパークPROJECT | サンフレッチェ広島)

また、エディオンピースウイング広島は、Jリーグ サンフレッチェ広島の新たなホームスタジアムとして建設中。

「多くの県民・市民に日常的に親しまれ、県外の方も何度も訪れたくなる魅力的な空間」になるというから、楽しみ。

全国でも極めて珍しい、都心に立地する「街なかスタジアム」という特性をいかし、広場とスタジアムの複合化や多目的化、多機能化を施し、一年中にぎわいのあるサッカースタジアムが実現。

また、中央公園の緑と太田川の水という広島ならではの水と緑をいかし、全世代が日常的に遊びやスポーツなどを体感できる空間になるというから、期待大。

いまこそ、あらためて広島ピースツーリズムの時間を

―――こうしてあらためて広島ピースツーリズムの時間を過ごすと、忘れてはいけない戦争の残虐さ、いまを人を敬いみんなで限られた時間を大事に生きる大切さを痛いほど痛感し、前進するチカラをくれる。

ヒロシマから世界へ。ともに「平和とはなにか」を考え、共感し、平和への思いを共有する街―――広島へ。

あらためて平和記念公園でヒロシマピースボランティアの話を聞き、あの日の記憶をたどるルートを巡りながら、ゆっくりじっくり広島の過去・現在・未来を体感したい↓↓↓
https://peace-tourism.com/

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