コラム【鉄の余談】14 2015年3月 宗谷本線 廃止された駅の記録 ③
※2014年3月撮影
トップ画像は、JR北海道宗谷本線幌内駅ホームに停まるキハ54 513。下り稚内行普通列車ですが、優等列車との列車交換で40分も停車しました。何だかとてもノンビリしました。
宗谷本線の廃駅、歌内駅(旭川から170.3km)。かつて相対式ホーム2面2線だった線形が残っています。
※2017年1月撮影
駅名標。窓の水滴と被ってしまいました。「てしおなかがわ」と上書きされているのは、2001年(平成13年)に廃止された下中川駅があったからです。
※2017年1月撮影
歌内駅は、1923年(大正12年)宇戸内駅として開業。1941年(昭和16年)字名改正で宇戸内が歌内と改名、駅名も1951年(昭和26年)歌内駅に改称されています。1984年(昭和59年)まで有人駅でしたが無人化。駅舎も貨車改造のものに改築。2021年(令和3年)中川町の維持管理駅になりましたが、翌2022年(令和4年)3月廃止。
余談ですが、歌内駅から歌志内駅を思い出しました。
函館本線砂川駅から分岐していた歌志内線は、1988年(昭和63年)に廃止されています。終点の歌志内駅の近くにカミさんの親戚が住んでいて、筆者は2012年10月に遊びに行きました。
歌志内市街、正面のお寺の住職が親戚。オーディオマニアのお坊さんで、STAXのコンデンサースピーカーでブルックナーのシンフォニーを聴かせてもらいました。亡くなった義父がハイエンド・オーディオメーカーの技術者だったので、彼が住職のレコードプレイヤーを調整に行くのに付いていったのでした。
※2012年10月撮影
歌志内駅の跡地に「歌志内市郷土館ゆめつむぎ」があります。歌志内駅の駅名標が飾られていました。
※2012年10月撮影
歌志内駅、神威(かもい)駅、文珠駅、西歌駅のホーロー柱用駅名標もありました。
※2012年10月撮影
歌志内市は、かつて年間70万トンもの石炭を産出しました。
※2012年10月撮影
現在は「日本で最も人口の少ない市(約2600人/2024年)」ですが最盛期の1948年(昭和23年)には46,000人が市内で暮らしていました。炭鉱閉山で人口が6%にまで減ってしまったのです。北海道、炭鉱で栄えた自治体の典型です。
2017年1月の宗谷本線に戻って、上幌延駅(同194.6km)です。奥は稚内方面。この駅もかつては相対式ホーム2面2線だった線形が残っています。
※2017年1月撮影
駅名標。やはり窓に水滴が付いています。
※2017年1月撮影
上幌延駅は、1925年(大正14年)開業。1984年(昭和59年)までは有人駅でした。駅舎も貨車改造のものに改築。旧国鉄時代末期に交換設備が廃止、棒線駅になりました。2021年(令和3年)3月上幌延駅は廃止。
有人駅時代に木造駅舎があった場所に、貨車改造の駅舎。周辺には住宅が見えます。最盛期駅前には、郵便局、駐在所、雑貨店、理髪店、旅館などがあったそうです。
※2017年1月撮影
稚内駅が近くなってきました。徳満駅(同220.9km)。奥は、40km弱で稚内駅。線路がかつて相対式ホーム2面2線であった頃の形です。
※2017年1月撮影
ホームにはプレハブの待合室がありました。
※2017年1月撮影
駅名標。兜沼駅との間に、2001年(平成13年)に廃止された芦川駅がありました。それで駅名標は「かぶとぬま」と上書きされています。
※2017年1月撮影
徳満駅は、1926年(大正15年)開業。2021年(令和3年)利用者減少により廃止。
北海道には、開拓民が願いを込めた瑞祥地名が数多くあります。この徳満駅(豊富町字徳満)、隣の豊富駅など、その典型です。
豊富町も豊かで富んでいる願いが込められた地名です。しかし、12月から3月までは平均気温が氷点下以下、4月5月10月11月の平均気温は10℃以下という寒冷なエリア。平均気温が10℃を越えるのは6-8月の三ヶ月だけです。幸い牧畜による牛乳の生産量が北海道でも上位。炭鉱閉山で人口減少に直面しましたが、利尻礼文サロベツ国立公園(サロベツ原野)や日本最北の温泉などの観光資源に恵まれています。それでも1970年(昭和45年)に9千人ほどだった人口が2020年(令和2年)には4千人以下に半減しています。
以上が宗谷本線の2021年以降の廃止駅でした。少し追記します。
東風連駅の駅名標です。
※2015年3月撮影
この駅は、2022年(令和4年)稚内側に1.5km移設され名寄高校駅に改称されました。つまりこの駅名標を、もう見るコトはありません。
こちらは、2021年利用者減少で信号場となった豊清水駅です。
※2015年3月撮影
駅名標。隣の恩根内駅も2024年(令和6年)3月に廃止されました。駅所在地、美深町清水に由来する瑞祥駅名です。
※2015年3月撮影
豊清水駅は、1946年(昭和21年)仮乗降場として開業。1950年(昭和25年)駅に昇格。2021年(令和3年)信号場に降格。
筆者が駅を撮影した2015年(平成27年)時点で、駅を中心とした半径500メートル内には誰も住んでいませんでした。半径を1kmしてようやく住人が1人という人口希薄地帯でした。(国勢調査から)しかも、冬期は駅周辺の道路が封鎖され駅にアクセスが難しいのです。
※2015年3月撮影 オリジナルが縦なので加工しました
しかし除雪要員として数人が駅に常勤していると(運転士さんから)聞いて、とても驚きました。だって、周辺には人家が一軒も無く、店も何も無いのです。まぁ、冬だから熊は冬眠していますけど。エラいなぁ、と感心もしました。
最後に、名寄駅ホームのキハ40 732ともう1両(車番不明)。
※2015年3月撮影
筆者が愛して止まないキハ40のJR北海道カラーリングです。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。