※2014年3月撮

トップ画像は、静内駅ホームのキハ40 357、様似行。

前後しますが、様似行は節婦駅到着。キレイな駅舎がありました。

※2014年3月撮

駅名標。コンデジが突然の不調。2019年に撮った写真です。

※2019年6月撮

駅は、1926年(大正15年)開業。2021年(令和3年)鵡川~様似間廃止にともない駅も廃止されました。

2019年6月にレンタカーで来ました。駅正面。

※2019年6月撮影

駅前の様子です。周辺は住宅街でした。

※2019年6月撮影

余談ですがセップという音楽専門チャネル関連の映像制作会社があって後輩が社長やってます。(笑)

新冠(にいかっぷ)駅。1999年(平成11年)に改築され新冠町の「出会いと憩いのセンター」が併設されています。停まっているクルマは、筆者が乗って来たレンタカーではありません。駅舎を撮るのに、駐めた方がクルマを移動するのを待ちましたが、滞在時間中には誰も現れませんでした。駅舎内の「出会いと憩いのセンター」は無人でしたから、駅に用があったのでは無い様です。

※2019年6月撮影

駅舎内は、広々としてとても綺麗でした。

※2019年6月撮影

駅名標と駅舎。

※2019年6月撮影

駅は、1926年(大正15年)高江駅として開業。当時の駅所在地、新冠郡高江村からの駅名でした。1948年(昭和23年)新冠駅に改称。2021年、駅は廃止されました。

駅舎横に「新冠町エコミュージアムふるさと探訪③高江駅跡」の石碑がありました。

※2019年6月撮影

碑に記された内容は以下です。

日高線は、大正2年に苫小牧を起点として建設され、大正15年には日高拓殖鉄道により厚賀~静内間が開通しました。この地区は高江村と呼んでいたことから「高江駅」の名がつけられ、木材運搬や人々の生活路線として活用されました。昭和23年には「新冠駅」と改められましたが、場所は今も昔もあまり変わっていません。

平成15年12月 新冠町教育委員会

平成15年は、2003年です。

様似側の踏切から新冠駅。まだ駅舎前のクルマが見えます。ローカルで木造駅舎の撮影をしていると、割に頻繁に駅舎前に駐められたクルマに苦労します。クルマのオーナーは、駅なら人目があるから悪戯されない、と考えているのでしょうかしら。

※2019年6月撮影

既に4年間列車が運行されていないので線路は、見事に錆びています。日高本線のこの区間が廃止されるのは、この2年後です。

静内駅に着いて列車交換で20分ほど停まりました。トップ画像がその時の写真です。

優駿ロマンカラーのロゴマーク。

※2014年3月撮影

構内にもう1両、日高本線カラー(優駿ロマンカラー)のキハ40が駐まっていました。望遠レンズで撮ると、キハ40 353でした。この車両も残念ながら2021年3月に営業運転を終了しています。

※2014年3月撮影

いずれにしても2025年3月には、JR北海道全てのキハ40系は、営業運転を終了する予定なのです。筆者は、どうにか3月には北海道に渡り、キハ40に別れを告げたいのですが・・・。

【鉄の余談】で、筆者が乗ったJR北海道のキハ40系の写真を全て列べてみることも考えています。ソンなモン、見たくない・・・って、まぁ、そうおっしゃらず。

駅名標。

※2014年3月撮影

静内駅は、1926年(大正15年)開業。2001年(平成13年)駅舎が新しくなりました。2015年1月の高波被害で列車運行休止。2021年鵡川~様似間廃止、駅も廃止されました。

駅舎出入口。

※2014年3月撮影

大きな駅舎です。

※2014年3月撮影

静内駅の続きは次回です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。