※2019年6月

トップ画像は、JR北海道札沼線於札内駅。鶴沼駅から1.8km。周囲は、全面的に農地。民家など見当たりません。奥が新十津川方面。

驚いたのは左の道路標識「12月1日から3月31日まで」進入禁止!

この標識自体、初めて眼にしたのでヨクわかりませんが、たぶん車両用なので冬期も徒歩でなら駅に行くことができます。

駅名標。3月は一面雪原。

※2015年3月

雪が無いと、農地が広がっています。

※2016年9月

於札内駅は、1959年(昭和34年)仮乗降場として開業。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承され、同時に駅に昇格。2020年(令和2年)5月札沼線北海道医療大学~新十津川間廃止にともなって駅も廃止されました。

2015年3月のホームと待合室。

※2015年3月 オリジナルが4:3です

単式ホームは、コンクリート板が敷かれています。

線路が真っ直ぐ・・・よく見ると先の方で右にカーブしていました。

※2019年6月

2025年には、レール、ホーム、待合室が撤去されて更地になっています。

待合室、出入口の上に錆びた看板があります。

※2019年6月

見事に錆びた駅名標でした。まさか1959年のオリジナル?

※2019年6月

待合室内の時刻表。凄いです、上り下りが1本だけ。9時14分の新十津川行の後、その列車が折り返してきてほぼ1時間後10時13分の石狩当別行。これでその日の列車はお仕舞いです。

※2019年6月

駅ノートがありました。

※2019年6月

3月の後方展望。奥が石狩当別方面。

※2015年3月

9月は、前面展望。

※2016年9月

鉄道の道路標識があります。踏切の左側にホームが見えます。於札内駅から1.5km。南下徳富(みなみしもとっぷ)駅です。

※2019年6月

木板の単式ホーム。雨(雪)風を凌ぐ待合室はありません。

※2019年6月

2012年(平成24年)までスロープの脇に木造駅舎があった様です。筆者が初めて駅に来たのは2015年でしたので、既に撤去されていました。

駅出入口のスロープ脇に普通運賃表、時刻表、駅ノートがあります。

※2019年6月

時刻表から於札内駅まで3分であることが分かります。

ホーム、奥は少し高くなっていてコンクリート板が敷いてありました。

※2019年6月

3月の駅名標。雪が大地を覆っていました。

※2015年3月

9月には稲が見事に実っていました。

※2016年9月

南下徳富駅は、1956年(昭和31年)開業。2020年(令和2年)5月札沼線非電化区間廃止にともない駅も廃止されました。

駅名は、南下徳富ですが駅所在地は新十津川町字花月。不思議なコトに新十津川町に徳富という地名は、現在存在しません。徳富川という川は流れています。

2016年停車した車両乗降口からホームと駅名標。ホーム手前がコンクリート板、新十津川側が一段低くなって板張りです。

※2016年9月

ホームからは一面に実った稲穂が見えました。

※2016年9月

道路から望遠レンズでホームと駅名標。一段高くなっているのが分かります。

※2019年6月

同じ場所から広角レンズで駅全体。切ないほど周囲に農地しか無い駅です。

※2019年6月

踏切から新十津川方面。線路は、バニシングポイントが見える程真っ直ぐです。右側の鉄道設備を含めて、2025年には、線路、ホームなどは撤去されて更地になっています。

※2019年6月

2015年3月の後方展望。

※2015年3月

2016年9月の前面展望。

※2016年9月

次回は、下徳富駅と終点新十津川駅です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。