コラム【鉄の余談】38 廃止された札沼線に乗りました⑧
※2019年6月
トップ画像は、JR北海道札沼線於札内駅。鶴沼駅から1.8km。周囲は、全面的に農地。民家など見当たりません。奥が新十津川方面。
驚いたのは左の道路標識「12月1日から3月31日まで」進入禁止!
この標識自体、初めて眼にしたのでヨクわかりませんが、たぶん車両用なので冬期も徒歩でなら駅に行くことができます。
駅名標。3月は一面雪原。
※2015年3月
雪が無いと、農地が広がっています。
※2016年9月
於札内駅は、1959年(昭和34年)仮乗降場として開業。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承され、同時に駅に昇格。2020年(令和2年)5月札沼線北海道医療大学~新十津川間廃止にともなって駅も廃止されました。
2015年3月のホームと待合室。
※2015年3月 オリジナルが4:3です
単式ホームは、コンクリート板が敷かれています。
線路が真っ直ぐ・・・よく見ると先の方で右にカーブしていました。
※2019年6月
2025年には、レール、ホーム、待合室が撤去されて更地になっています。
待合室、出入口の上に錆びた看板があります。
※2019年6月
見事に錆びた駅名標でした。まさか1959年のオリジナル?
※2019年6月
待合室内の時刻表。凄いです、上り下りが1本だけ。9時14分の新十津川行の後、その列車が折り返してきてほぼ1時間後10時13分の石狩当別行。これでその日の列車はお仕舞いです。
※2019年6月
駅ノートがありました。
※2019年6月
3月の後方展望。奥が石狩当別方面。
※2015年3月
9月は、前面展望。
※2016年9月
鉄道の道路標識があります。踏切の左側にホームが見えます。於札内駅から1.5km。南下徳富(みなみしもとっぷ)駅です。
※2019年6月
木板の単式ホーム。雨(雪)風を凌ぐ待合室はありません。
※2019年6月
2012年(平成24年)までスロープの脇に木造駅舎があった様です。筆者が初めて駅に来たのは2015年でしたので、既に撤去されていました。
駅出入口のスロープ脇に普通運賃表、時刻表、駅ノートがあります。
※2019年6月
時刻表から於札内駅まで3分であることが分かります。
ホーム、奥は少し高くなっていてコンクリート板が敷いてありました。
※2019年6月
3月の駅名標。雪が大地を覆っていました。
※2015年3月
9月には稲が見事に実っていました。
※2016年9月
南下徳富駅は、1956年(昭和31年)開業。2020年(令和2年)5月札沼線非電化区間廃止にともない駅も廃止されました。
駅名は、南下徳富ですが駅所在地は新十津川町字花月。不思議なコトに新十津川町に徳富という地名は、現在存在しません。徳富川という川は流れています。
2016年停車した車両乗降口からホームと駅名標。ホーム手前がコンクリート板、新十津川側が一段低くなって板張りです。
※2016年9月
ホームからは一面に実った稲穂が見えました。
※2016年9月
道路から望遠レンズでホームと駅名標。一段高くなっているのが分かります。
※2019年6月
同じ場所から広角レンズで駅全体。切ないほど周囲に農地しか無い駅です。
※2019年6月
踏切から新十津川方面。線路は、バニシングポイントが見える程真っ直ぐです。右側の鉄道設備を含めて、2025年には、線路、ホームなどは撤去されて更地になっています。
※2019年6月
2015年3月の後方展望。
※2015年3月
2016年9月の前面展望。
※2016年9月
次回は、下徳富駅と終点新十津川駅です。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。