【私鉄に乗ろう 30】遠州鉄道鉄道線 その2
高架線から地上に降ります
上島駅までは2012年(平成24年)までに高架化されました。
助信・曳馬と続き同じ駅のデザインです。
復路に駅名標を撮ったので既に薄暮です。
上島駅でも列車交換します。上り列車が地上から登ってきました。遠州鉄道2000形です。
上島駅を出ると高架線から地上に降ります。
急にモダンな私鉄からローカルな雰囲気になります。自動車学校前駅です。
島式ホーム1面2線。右のマンションの1階が駅舎になっています。ホーム屋根と同じ色調です。
駅名標。1909年(明治42年)の開業時は市場駅でした。隣に大きな市場があったからなのだそうです。遠州鉄道は貨物ターミナルを作る予定で用地を取得しましたがモータリゼーションで貨物構想は頓挫、用地を当時としてはとても珍しかった自動車教習所に転用、1966年(昭和41年)に自動車学校前駅に改称しています。確かに昭和41年に自動車教習所、正にモータリゼーションのとば口でした。
線路際に遠鉄自動車学校がありました。復路、薄暮なのでピンが甘いです。
さぎの宮駅。
手前の部分が階段で地下に降りる構造です。
駅名標。1909年(明治42年)開業時は共同駅でした。共同とは不思議な駅名ですが、起源は諸説ある様です。現在の駅名は駅近くにある八坂神社の森に多くの鷺がいたことから鷺宮と呼ばれたことに由来します。遠州鉄道は難しい漢字を使わないという習慣がある様で駅名はさぎの宮とひらがな表記です。
積志駅。
手前の構内踏切を渡ると駅舎があります。あれ右側通行ですね。理由が分かりません。下り列車に乗る人には便利かもしれませんが、通勤・通学で上り列車を使う人のために、上り列車が到着したらいったん構内踏切を開けるのでしょうか?
違和感がありますね。
駅名標。1909年(明治42年)開業時は駅の土地を提供した地主の要望で松木駅でした。1955年(昭和30年)積志村が浜松市に編入され積志町に改名されたことで駅名も積志駅になりました。珍しい地名ですが淮南子(前漢の書)から採られたとのことです。
列車交換ですが通常とは逆の右側通行で進入してきます。
と、ようやく歴史の古い地方の私鉄らしくなってきました。【私鉄に乗ろう 30】遠州鉄道鉄道線 その3 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)