※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券などがあれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。今回は、約20年前の1999年(平成11年)に当時のデジタルカメラで撮影した湯田中駅です。画質がイマイチですが御宥恕ください。

長野電鉄長野線

1922年(大正11年)河東鉄道が屋代駅〜須坂駅間を開業したのが始祖。1923年(大正12年)須坂駅〜信州中野駅〜木島駅が開業。

1923年(大正12年)には長野電鉄が設立され、権堂駅〜須坂駅開業。

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1926年(昭和元年)河東鉄道が長野電鉄を合併、社名を長野電鉄にしました。1927年(昭和2年)には、信州中野駅〜湯田中駅間開業。1928年(昭和3年)権堂駅〜長野駅が開業し国鉄長野駅に乗り入れました。

1981年(昭和56年)長野駅〜善光寺下〜本郷駅間が連続立体交差事業で地下化、中小私鉄では戦後初。北陸鉄道が一部地下化されるまでは中小私鉄では唯一でした。

2002年(平成14年)信州中野駅〜木島駅間(木島線)廃止。2012年(平成24年)屋代駅〜須坂駅間(屋代線)廃止。

現有路線は、長野線長野駅〜須坂駅〜信州中野駅〜湯田中駅33.2km、始終点を含め24駅。直流1500Vで電化されています。長野駅〜朝陽駅間は複線。

特急列車用に元JR東日本253系(成田エキスプレス専用車両)が2編成(各3両編成)「スノーモンキー」の愛称で運用されています。前面の貫通扉が塞がれていますが、オリジナルの状態をよく残しています。E1編成はオリジナル塗装ですが、E2編成は赤白ツートンに塗り替えられています。※その3/6/11トップ画像とその5”小布施駅名標”を参照。

さらに特急車両として元小田急電鉄のロマンスカー1000形”HiSE”が2編成「ゆけむり」の愛称で運行されています。こちらは連接車両なので4両編成(4車体5台車)。小田急時代に”ワインレッド”だった塗装部分は長野電鉄の”赤”に変更されています。その4トップ画像参照。

普通車両としては、元東急電鉄8500系3両編成2本が2005年(平成17年)から長野電鉄8500系として長野〜信州中野間で運行されています。その5/10トップ画像を参照。

もう一種、1993年(平成5年)に元帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線用3000系を譲り受け改造した長野電鉄3500系電車37両が導入されました。現在は、主に信州中野〜湯田中間で運用されています。その1/2/7トップ画像を参照。

”その0”は1999年(平成11年)に撮影した湯田中駅

友人が経営する北志賀のペンションに遊びに行った帰路、湯田中駅から長野駅まで長野電鉄に乗りました。その時の写真です。懐かしいので載せますが、興味の無い方はスルーしてください。

トップ画像は、長野電鉄オリジナルの2000系電車。1989年(平成元年)の冷房改造後の車両です。

車内銘板が、昭和34年日本車輌製造なので第3編成ですね。

改めて2000系電車。長野行の特急です。”SHIGA KOGEN”のヘッドマーク。前方から見ています。左に現在は存在しないホームと線路があります。

2番ホームと2000系電車。

3両編成の3号車。

1999年当時は、木島線(信州中野〜木島/2002年廃止)も、屋代線(屋代〜須坂駅/2012年廃止)も運行されていましたから第三種駅名標も「木島 長野 屋代方面」になっています。

車内の路線図にも屋代線と木島線が掲載されています。

長野方面、現在のホームは真ん中の線路に沿って延長されています。両側の側線は撤去されています。

改札口。当時は広かったのですね。

残念ながら駅舎の外観や駅前の写真を撮っていません。

改札の外からホーム。古い駅名標が見えます。前年(1998年)に開催された長野オリンピックの影響なのか英語表記が目立ちます。

懐かしい看板。

駅舎の階段から改札口。

と、約20年前の湯田中駅の写真を見ていただきました。隔世の感がありますね。では次回【私鉄に乗ろう 58】長野電鉄長野線 その1 は、現代に戻って2018年の湯田中駅から出発します。

(写真・記事/住田至朗)