【私鉄に乗ろう 65】和歌山電鐵貴志川線 その7

駅舎で大挙して待っていたツアー客、といっても観光バス1台分なので50人ほどですが、狭いホームに移動してきたので当方は駅舎側に逃げます。まずは待避線の横の車庫。

元々が三社参りの参詣用に敷かれた鉄道なのでこの様な駅名標もありました。1916年(大正5年)に開業した時は山東駅(初代)でした。1933年(昭和8年)貴志駅まで延伸開業したタイミングで伊太祁曽駅に改称されましたが現在と違い旧字でした。2006年(平成18年)和歌山電鐵になった時に現在の伊太祈曽に字が換わっています。和歌山電鐵の鐵の字が旧字なので、ちょっと不思議?

中国人のツアーも多い様です。流石「たま駅長」が新華社通信に取り上げられた影響でしょうか。木製の改札がチャーミング。

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駅舎正面。右に「ねこ電車」の撮影用ガジェット。ホームに人がいるのが見えます。

貴志行が入線した=和歌山行の交換列車が来る、というアナウンスで慌ててホームに戻りました。程なく和歌山行が来ました。今回乗る事のできなかったオリジナルの和歌山電鐵2270系です。

ホームが混んでいたので復路で撮った駅名標。古い感じです。後ろの電車は、オリジナルの和歌山電鐵2270系。

「ねこ電車」に乗って貴志に向かいます。車内はツアー客で混んでいましたが、どうにか前面展望のポジションを確保しました。

横に居たツアー参加者のご夫婦とおしゃべりをしながら。というのはダンナさん(筆者より10歳くらい年上かな)が鉄道がお好きな様で「前面展望(イキナリある種専門用語です)撮ってどうするんですか?」と訊かれたので「鉄道チャンネルのニュースサイトにコラム書くのです」と答えると「へーっ、鉄道チャンネルは知ってます。残念ながら契約していないけれど鉄道は好きなんですよ」とのこと。気を遣っていただいて筆者が撮影している時は話しかけずにいてくださいました。

1.1kmで山東駅。

車内混雑でドアまで移動できないので駅名標とホームは復路での撮影です。

駅名標。新しい南海本線と共通のタイプです。1933年(昭和8年)旧伊太祁曽駅から貴志駅への延伸開業で作られた駅。当時は山東永山駅、1945年(昭和20年)までは伊太祁曽駅との間に東山東駅があったのが廃止され山東駅(2代目)に改称されています。

ホーム。混んだ車内から出てベンチに座りたくなります。

と言う理由で次回【私鉄に乗ろう 65】和歌山電鐵貴志川線 その8 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)