トップ画像は久慈駅に到着したリアス線車両と記念撮影をする親子。

元は旧国鉄宮古線のこの部分は、太平洋から5km以上内陸を行きます。海の気配は微塵もありません。

堀野トンネル(35m)。

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第一庄転トンネル(43m)

第二庄転トンネル(169m)

田老川を渡って、逢の山トンネル(489m)です。ありゃ、先刻と同じ仕様の小屋です。扉の横、電話のボックスも同じです。三陸鉄道さんに訊けば小屋の正体が分かるのでしょうか? 橋梁の下、田老川沿いに県道40号線から分岐して三陸鉄道と付かず離れずに並走する道路があるので、この小屋へのアクセスは良さそうですが。田老川、この上流に田老町漁協のさけます孵化場があります。県道40号線は北上して国道455号線に当たり、国道で岩泉町に行くことができます。その先には天然記念物龍泉洞もあります。

長さが500m近くあるのに向こうが見えていますね。トンネルの出口手前に信号機があるのが分かります。

神田川ってフォークソングみたいな川を渡って田老駅です。神田川は下流、右(東)側300mちょっとで田老川に流れ込んでいます。

佐羽根駅から3.6km。

2011年(平成23年)の東日本大震災、津波が襲いましたがホームは無事でした。田老物産観光センターの併設された駅舎はほぼ全壊。山側には側線があります。

ホームから海側を見ると津波で町が完全に無くなってしまったことが如実です。住宅は一軒も残っていません。

田老の町は古くから津波の被害を何度も受けてきたことで高さ10mの防潮堤がありました。しかし、東日本大震災の津波は高さ20mという目撃証言もある程で幅500mの防潮堤を一瞬で破壊してしまったのです。駅の手前まで広がっていた旧市街の全てを流し去り、住民200名が犠牲になっています。しばし黙祷いたしました。

駅名標。1972年(昭和47年)国鉄宮古線の終点駅として開業しています。1984年(昭和59年)三陸鉄道に移管、普代駅まで延伸開業。東日本大震災で休止した三陸鉄道は3月20日に宮古〜田老間の運行が再開されました。

分かっていたことですが、東日本大震災の爪痕が凄すぎて声を吞みました。震災から8年を過ぎても、何処も工事中なのです。

【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その27 に続きます。

付記:既にお伝えした様に、三陸鉄道リアス線は2019年11月28日(木)から不通になっていた宮古駅〜津軽石駅間が復旧、運行が再開されました。しかし、コラムを書いている2019年11月末現在、田老駅〜久慈駅、釜石駅〜津軽石駅間が不通になっています。代行バスが運行されています。1日も早い復旧をお祈りいたします。

付記:2019年12月28日、田老駅〜田野畑駅間20.9kmが復旧、運行が再開されました。

これでリアス線全線の半分ほどが復旧したことになります。全線復旧は2020年3月の予定です。

頑張れ三陸鉄道リアス線!

(写真・記事/住田至朗)