2018年1月撮影

さて、只見線、日高本線、札沼線とレンタカーで駅を回って撮影する旅が続きました。これには各駅停車で前面展望を撮る旅と違う楽しさがあって、筆者はすっかり味をしめてしまったのです。

ここで「ゆっくり駅舎を眺める」というテーマで「どの鉄道会社の路線に乗りたいか?」と自分に改めて問うた時、真っ先に思い浮かんだのが富山地方鉄道だったのです。

※2018年1月撮影

これまでに富山地方鉄道には、2017年(平成29年)12月と2018年(平成30年)1月、続けて2月にも行きましたので都合3回乗りに行ってます。しかい、2017年12月は雨と雪、2018年1月は雪、2月も雪で満足な前面展望が撮れていません。【私鉄に乗ろう46】で富山地方鉄道は登場していますが天候不良で写真も不調。今回はこのコラムを補完するものになります

※2017年12月撮影

しかし、何よりも3回の訪問で「富山地方鉄道には木造の古い魅力的な駅舎が多い」ということが分かっています。ソコで今回は満を持してレンタカーで全ての駅を回るというプランを起てたのです。

※2018年2月撮影

具体的には、2019年(令和元年)7月に3日間をかけて以下の67駅を回りました。

本線:電鉄富山駅〜宇奈月温泉行駅 41駅 53.3km
立山線:寺田駅〜立山駅 13駅(寺田駅が本線と重複)24.2km
不二越線:稲荷町駅〜南富山駅 4駅(稲荷町駅が本線と重複)3.3km
上滝線:南富山駅〜岩峅寺”駅 9駅(南富山駅が不二越線と、岩峅寺駅が立山線と重複)12.4km

合計 67駅 93.2km この内 木造駅舎 33駅

※富山地方鉄道ホームページから路線図

梅雨明け直前のタイミングでした。1日の中で晴天と豪雨が入れ替わるような不安定な天候でしたが、無事に全駅、約3000枚の写真を撮影。相変わらず「下手な鉄砲方式」で大量に撮ってきました。しかし、駅名標などを撮り忘れたり、コンデジのモードセレクトが気付かないウチに替わっていて妙な露出の写真になったりと失敗カットなども多々含まれています。

※2019年7月撮影

富山地方鉄道全線(軌道線を含まず)の営業キロが93.2km、一般道を使って全ての駅を回った結果は、3日間で264.0kmの走行距離になりました。幸い最近のレンタカーはハイブリッド車で燃費が良く、1リットル当たり約19kmを走って3日間で14リットルのガソリン消費で済みました。

駅によっては、国道や県道から細い脇道に入り込むこともあって高齢者や、夏休みで自転車の子どもなどもチョロチョロしていて危険でした。スピードを落とし安全運転に徹した結果、若干燃費が悪くなったかもしれません。しかし、何よりも無事故が最優先ですものね。

※2019年7月撮影

と言うワケで富山地方鉄道の全駅探訪をスタートします。

ですが、その前に簡単に富山地方鉄道の複雑な歴史を振り返っておきます。

ではまず本線から。

最初は「立山便鉄道」が1911年(明治44年)に滑川駅〜五百石駅の免許を受けて、1913年(大正2年)に滑川駅〜上市駅(現・上市駅の北約400m)〜五百石駅で開業しました。1917年(’大正6年)に富山鉄道に改称。この内、富山地方鉄道本線に該当する部分は、西滑川駅〜新宮川駅(開業時は江上駅)になります。

また、別にアルミ精錬に必要な電源確保のためのダム建設を計画した東洋アルミナムが黒部鉄道を設立。1923年(大正12年)までに黒部駅(旧国鉄・現あいの風とやま鉄道の黒部駅 富山地方鉄道の駅は廃止)〜桃源駅(現・宇奈月温泉駅)を軌間1067mmで開業。何と最初から電化されていました。

上記2路線以外の区間は、富山電気鉄道が敷設しました。第一期は、電鉄富山駅〜上市駅、寺田駅〜五百石駅。第二期は、滑川駅〜三日市駅という旧国鉄北陸本線と並行区間です。

1943年(昭和18年)戦時下の交通大統合によって富山県内の全鉄道会社が富山電気鉄道を中心とする富山地方鉄道に統合されます。これが現在の姿に繋がってゆきます。

立山線、不二越線、上滝線の歴史は、その都度に記載します。

では次回から実際の駅に立って見ましょう。

あ、忘れないウチにお断りしておきます。木造駅舎を見て回るに当たって、その建築がいつ建てられたのか、オリジナルなのか否かなど、インター・ネットを中心に探しましたがなかなか見つかりません。木造駅舎探訪記はたくさんありますが建築自体の歴史について言及していることはまず無いのです。

木造駅舎に関する書籍は手元に数冊有って富山地方鉄道の木造駅舎も幾つか紹介されていますがそれはごく一部なのです。

1983年(昭和58年)に富山地方鉄道が刊行した『富山地方鉄道五十年史』という書物もあって参照したいのですが古書が高騰しています。

しかし、考えて見れば、戦後70年以上が経っているのです。大正期や昭和初期に作られた木造駅舎の建設はそれよりも前です。50年史では100年前に作られた木造駅舎のことは分かりません。

1943年(昭和18年)に戦時下での陸上交通事業調整法で富山県内の鉄道会社が富山地方鉄道に統合されました。つまり古い木造駅舎は、統合以前に建てられた建築なのです。富山地方鉄道の中心になった富山電気鉄道は、大統合以前に立山鉄道、富南鉄道、富岩鉄道を合併しています。また大統合で合併された富山軽便鉄道(富山鉄道)、加越鉄道、富山県営鉄道、黒部鉄道など各社がオリジナルの駅舎を作っていたのです。

結論を言うと、調査に窮した結果、富山地方鉄道さんに直接問い合わせました。御多忙にもかかわらず丁寧に調べていただいた富山地方鉄道総務課石川さんに深く感謝いたします。ありがとうございました。

それでも長く複雑な歴史の富山地鉄さんなので、大統合以前の古い駅舎は来歴・詳細が不明という場合が多いのです。その場合はその旨記載します。また多くの情報はウィキペディアなどインター・ネットで調べた結果も含まれます。。

もちろん、記事内容の不備、誤りなどは全て筆者に帰すものです。もしお気づきの点など御座いましたら鉄道チャンネル宛にお知らせください。宜しくお願いいたします。

(写真・記事/住田至朗)