トップ画像は、磐城棚倉駅。2019年8月30日の午前7時15分くらいに訪問しました。まだ夏休みは終わっていませんが中高生たちがたくさんいました。

磐城浅川駅を出て、以外に真っ直ぐで平らな場所を走ってゆきます。

緑のトンネル、好きなんです。コンデジ的には、こーいうコントラストの強いものは不得意なんですね。勾配標では下り6パーミル。

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あらあら、また前面展望ではカーブで見えない側に駅があります。

磐城浅川駅から6.5kmで磐城棚倉駅。島式ホーム1面2線に長い跨線橋があります。

駅舎。朝の通学時間帯です。でも夏休みなんじゃないかな。

駅舎には出札窓口がありますが、委託時間外なのか閉まっていました。時計は7:25ですね。

島式ホームに渡って、右が駅舎。かつては単式ホームだったと思われますが、レールは撤去されています。磐城棚倉駅は水郡南線が接続する以前に白棚鉄道の駅として開業しています。白棚鉄道は、後に国鉄の白棚線になりました。この空間に戦後廃止された白棚線が通っていたのかもしれません。長い跨線橋は明らかに不自然です。

島式ホームから駅舎のホーム出入口を見ます。やはり単式ホームだった様に見えます。

島式ホームの水戸側から跨線橋、複線分の空間があいています。

跨線橋横の駅名標。奥は安積永盛駅方面です。

駅名標を正面から。

既述の様に、磐城棚倉駅は、1916年(大正5年)白棚鉄道の駅として開業しています。白棚鉄道は、東北本線の白河駅と棚倉を結んでいました。経営不振から国鉄に買い上げられて白棚線になりましたが、戦時中1944年(昭和19年)に不要不急路線として休止され、鉄の資材不足からレールなどは剥がされてしまいました。

戦後、鉄道としての復旧も模索されましたが、結局JRバスによる「白棚線」に転換されました。

水郡南線が1932年(昭和7年)に開業して磐城棚倉駅に乗り入れます。1934年(昭和9年)には、当駅から川東駅までが延伸され水郡線は全通します。

島式ホーム水戸側から水戸方面を見ています。次は中豊駅です。

島式ホームの安積永盛駅側には待合室が設けられています。この日、朝7時半にもならない時間でしたがお婆さんが二人熱心に長話をされていました。待合室の使い方にも色々あります。

でも、近所の医院の待合室に通って世間話(というか嫁の悪口)に興じる後期高齢者のお婆さんたちを見慣れているので(耳が遠いのか、自己主張が強いのか無闇に声が大きい!)、駅の待合室でやっていただいた方が医療保険もかからないし、有り難いと思いましたね。

近所のお医者さんが超面白い人で、談話室のつもりで来ているお婆さんたちの診察の際に「何処が具合悪い」と言われても「お嫁さんをいびるのを止めたら治ります」と言い続けるのです。これには大笑いしました。でも、そう言われても馬耳東風のお婆さんは週に一度は通ってきます。

ヘンな余談ですみません。

水郡線全駅14【50代から始めた鉄道趣味】203 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)