6回も名前の変わった停留場【私鉄に乗ろう100】函館市電06
トップ画像、軌道更新工事の先端で右側にホームがあることに気付いたカット。競馬場前停留場でも停留場の部分は更新工事をしていなかったのでここまで工事して、停留場の向こう側から再開するのでしょうか。
もう少し手前のカットです。工法に暗いのでよく分かりませんが緑色のガイドの内側に鉄筋の様なものが見えます。
函館市交通局8000形電車とすれ違ったら、右に分岐線がありました。下りホームの前には渡り線もあります。競馬場前停留場から300mで駒場車庫前停留場です。つまり右側には車庫があるのです。
右側車窓を写しています。建物には「函館市企業局交通部電車運行部門」と書かれていました。乗車券やオリジナルグッズ販売所が併設されています。
右のグレイの箱のような建物が「函館市企業局交通部駒場営業所」その奥に車庫が複数並んでいます。この車庫は函館大火で焼失した新川車庫の代替施設として1934年(昭和9年)に完成しています。当時は周辺の地名から柏野車庫と呼ばれていました。また2002年(平成14年)函館市役所末広町分庁舎の閉鎖にともなって管理部と運輸部がこちらに移転してきました。
航空写真で見ると奥行きが深いことに驚きます。この車庫に函館市電の全車37両の電車が配置されているのです。
東側にも本線軌道に繋がる分岐があります。奥に見えている車庫の左側に側線が延びていて多くの車両が駐められています。歩道に「函館馬車鉄道記念碑」が置かれています。流石に記念碑の内容までは見えませんが。
車庫に気を取られていたら停留場です。駒場車庫前停留場からたった200mで函館アリーナ前停留場。
この停留場は名前がコロコロ替わっています。1913年(大正2年)の開業時は「芦堀停留場」でした。1920年(大正9年)「新世界前停留場」に改称。「新世界」は2万坪の広大な敷地に音楽堂、動物園、運動場、ローラースケート場、人工の滝まで設えた娯楽施設でした。1922年(大正11年)当時路面電車を運営していた函館水電が「新世界」を引き継ぎ「湯の川遊園地」としました。停留場も「湯の川遊園地前停留場」になりました。戦前に湯の川遊園地は閉鎖され軍需工場が作られました。停留場は廃止。
戦後40年近くが経った1983年(昭和58年)「市民会館前停留場」として再開業。
2015年(平成27年)函館市が函館アリーナを作りました。スポーツ、コンサート、会議、見本市などに使われる複合施設です。停留場も当初は副名称で「函館アリーナ前」と付けましたが、2016年(平成28年)「函館アリーナ前停留場」に改称されました。副名称もいれれば6回目の駅名です。
函館アリーナには、二ヶ月後、8月に開催される大相撲巡業の横断幕がかかっていました。
次は湯の川温泉停留場です。【私鉄に乗ろう100】函館市電07 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)