堅牢地神 夫婦道祖神 厄除け地蔵尊【駅ぶら01】小田急線60

2019.12.30

新松田駅の箱根そばで早い昼食を食べて、すっかり元気になったのでJR御殿場線松田駅方面に向かいました。後で、小田急新松田駅北口の正面にJR松田駅の出入口があることに気がついたのですが、この時点では知りませんでした。ちょうどカメラ位置の真後ろです。

JR御殿場線松田駅は、新松田駅から歩いて10分ほどでしょうか。御殿場線のガード下をくぐる手前に堅牢地神と夫婦道祖神がありました。地神塔は、地神信仰に基づく石塔で東日本では神奈川県に多く分布しています。太古からの素朴な祖霊信仰と地神信仰が道教・仏教などの影響で変質したと言われています。

横には道祖神。厄災の侵入を防ぎ、集落からでかける人の安全を祈願し、子孫繁栄などの神サマでもある道祖神はかわいらしい夫婦姿で村の境界を守っています。この二体型の道祖神は山間部に多いそうです。

御殿場線の北側商店街を歩いてゆきます。旅館などがあって情緒があります。

松田駅の手前に「二宮尊徳生誕地栢山道碑」と、昔の小学校では頻繁に見かけた「二宮金次郎像」が並んでいました。説明板によれば、元はミキモト真珠創業者の御木本幸吉氏が1909年(明治42年)に、尊徳の生家跡のある小田原市栢山までの道標として建立した石碑で、松田駅構内に置かれていました。

2012年(平成24年)松田町が、町の観光協会事務所跡地のこの場所に石碑を移し「ポケットパーク」として整備しました。背後にJR松田駅が見えています。

JR松田駅舎、向こうには富士山。

2015年(平成27年)に建て替えられた駅舎。JR東海直営の駅長さんがいる駅です。

この先、御殿場線から左に分岐して小田急小田原線に合流する連絡線があります。戦時中、東海道本線の根府川周辺などの橋梁が敵の攻撃で破壊された際の代替ルートして陸軍などが進めた連絡線でした。終戦で工事は中断しました。

戦時合併で小田急を含む大東急は、東京から御殿場への直通列車を企画しましたが、当時の御殿場線は非電化だったため頓挫。戦後、大東急から小田急が再独立、高出力気動車が完成したことで1955年(昭和30年)連絡線は完成。直通運転が始まりました。

1968年(昭和43年)御殿場線が電化され、連絡線も電化されました。直通列車も電化され「あさぎり」が走り始めました。2018年(平成30年)からは愛称が「ふじさん」に変更されています。

マジっすか?

・・・と眼を疑いました。その特急「ふじさん」、小田急60000形ロマンスカーMSEが、正に連絡線を通って御殿場線松田駅にやってきたのです。本当に偶然でした。箱根そばで早昼をしていなかったら見過ごしていたかもしれません。トップ画像はこの時のカット。

「ふじさん3号」と表示されています。

松田駅からの帰路、このガードの手前側を連絡線が通っているのです。先ほどの堅牢地神と夫婦道祖神はガードの向こう側の左にあります。

その先、小田原線の新宿駅側の踏切を渡ります。左側に変電設備がチラッと写っています。

踏切の南側には「秦野電気システム管理所松田事務所(変電)」があります。電気のことは皆目分からないのですが、調べると小田原線完成以前に作られた様です。電化されている小田急小田原線、JR御殿場線、ともに直流1,500Vです。変電所の西側に新松田駅南口が見えています。

新松田駅南口。

上の写真左側に写っていた看板。洋傘専門店とは、きっと和傘が中心だった時代に開店したのでしょう。流石、宿場町として古くから栄えた場所です。店舗に行ってみたかったのですが、そろそろ相模大野方面に向かわないと、夕暮れまでに残る駅の撮影が間に合わないコトに気付いて断念しました。

そうそう、踏切の南側、交番の裏に厄除け地蔵尊がありました。

再び新松田駅北口に戻ってきました。

何と道をはさんだ北側にJR松田駅出入口があったのです。知らなかったなぁ。確かにキタ改札口を出た頭上に矢印と案内がありましたが・・・。でも結果的に、松田駅まで歩いて行ったから特急ふじさん3号と遭遇することができたのです。

最後に、営業していなかったのが残念でしたが、この「和食マニラ食堂」のネーミング、ちょっと気になりませんか? ちなみにお店の横の道の先にJR松田駅出入口があります。

やっぱり古くは宿場町として栄えた松田町、面白いですね。もう少しゆっくり過ごすスケジュールにしたいのですが・・・。【駅ぶら01】小田急線61 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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