天王町駅を出発します。この区間は連続立体交差事業で作られた新しい高架線です。上下線の間に連続して木の板が立てられていますが、いかにも「とりあえず感」満載で何かの測定用にしてはぞんざい過ぎるし、存在している理由が想像出来ません。天王町駅のホームの途中から直結軌道に替わっています。でも沿線は住宅街です。騒音の問題などがあるので弾性枕木が使われているのでしょうか。機会があったら相鉄さんに訊いてみたいです。

地形に素直なのでしょうか、いったん上った後、右にカーブしながら下ってゆきます。架線柱も天王町駅を出た所から新しいデザインのものになっています。

PC枕木が積んであります。

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左側の空間は、筆者の想像ですが、高架化する際に地上から高架線に上ってきて合流する工事中に使われた暫定の線路があったのではないでしょうか。毎日、早朝から深夜まで頻繁に電車が運行されている中での工事ですから、大変な苦労だと思います。

シーサス・クロッシングがあって、星川駅です。天王町駅から0.9km。島式ホーム2面4線、緩急接続ができます。天王町駅から高架化されました。もちろん次の和田町駅側も高架線が続きます。

下り線と同様に上り線側にも高架化工事中の暫定線と思しき線路が右手前に伸びています。

屋根の構造物というか梁が並んでいて視覚的な面白さを感じます。新しいホームはキレイですね。

下車して下りホームの横浜駅側の端から天王町駅方向を見ています。

望遠レンズで見ると上り線側の暫定線は撤去工事の最中の様でした。上りホームの高架化が2018年(平成30年)11月ですから、まだ1年少ししか経っていないのです。撮影は2019年12月25日です。ちなみに下りホームは、それよりもかなり早く、2017年(平成29年)3月に高架化されています。

下りホームの中程、横浜駅方面を見ています。上りホームにはお客さんがそこそこいますが上りホームは、筆者が降りた各駅停車が行った直後なので空っぽです。

同じ位置から海老名駅方面。

駅名標。1927年(昭和2年)神中鉄道(相模鉄道の前身)の横浜側の終点、北程ヶ谷駅として開業しました。1933年(昭和8年)星川駅に改称。1969年(昭和44年)橋上駅舎完成。当時、線路はもちろん地上線でした。1971年(昭和46年)駅南側にあった星川工場をかしわ台に移転。跡地は電車留置線と星川車掌区になりました。2003年(平成15年)構内の電車留置線の一部が使用停止になり撤去が始まりました。2006年(平成18年)全ての電車留置線が使用停止になり西横浜駅に役割を移しました。既述の様に連続立体交差事業でホームが順次高架化されました。現在は高架下2階部分の改札フロアを工事しています

では工事中の階下に降りていきます。【駅ぶら02】相模鉄道09 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)