GHQ専用駅の時代がありました【駅ぶら03】京浜急行65

2020.06.06

どアタマから余談で恐縮です。

筆者の「全く個人的な印象に過ぎない」のかもしれませんが「京急の車両は、かっ飛ばしている」という無意識の「ブースト=増幅」があるためか、カーブする車両の傾斜角度が強調されて見えてしまう傾向があります。写真なら正しい垂直が分かるので実際に「車両がどの程度傾いているのか」を客観的に見ることができます。でも、「赤い電車」は余計に傾いている様に見えます。(笑)

では杉田駅を出発。踏切を二箇所越えます。上を横切るのは、手前がJR京浜東北線、奥は道路で、環状3号線。「8」番トンネルを出て右にカーブ。左側、横須賀街道の歩道橋の辺りに鳥見塚バス停があります。1947年(昭和22年)3月から戦時中に廃止された湘南富岡駅がこの場所に移設された上で再開されました。理由は、現在の富岡総合公園にあった海軍横浜航空隊基地跡に置かれた占領軍(GHQ)の施設関係者専用の駅だったのです。「9」番トンネルの向こうに駅が見えました。杉田駅から2.4kmで京急富岡駅です。下りホームは単式ですが上りホームは島式ホーム1面2線になっています。下りホームは浦賀側にズラして設置されています。

ここからは【駅ぶら】カット。この駅にも二回来ていますが、こちらは初日の撮影。上り島式ホームから浦賀方面を見ています。

上り島式ホームの浦賀側端部から品川方面。この部分はホームが狭いです。

望遠レンズで品川側の「9」番トンネル。トップカットは、さらに望遠でトンネル内の車両を撮りました。

駅名標。1930年(昭和5年)湘南電気鉄道が黄金町駅~浦賀駅間を開業した時には設置されませんでした。しかし、開業した年の夏には海水浴客専用の仮駅として湘南富岡駅が置かれ、翌1931年(昭和6年)には正式の駅に昇格しました。しかし太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)駅の近所にあった海軍横浜航空隊(現・富岡総合公園)や日本兵器産業工場の社宅(現・横浜市立富岡小学校付近)などが集中的に攻撃され破壊され営業休止になりました。1947年(昭和22年)には廃止されました。

しかし、京急富岡駅から杉田駅方向に900mほど離れた位置、富岡総合公園のある鳥見塚バス停付近に湘南富岡駅として再開されます。旧海軍基地のあとに造られたGHQの関係者用専用駅で一般旅客は利用できませんでした。翌1948年(昭和23年)には一般にも利用可能になりGHQ専用時代には駅員がGHQ関係者の利用がある場合は旗を出して列車を止めていましたが、一般利用が可能になって列車も普通に停車するようになりました。

その後、宅地化が進んだため1955年(昭和30年)には元の位置(現在の京急富岡駅の場所)に駅は移設されます。1963年(昭和38年)京浜富岡駅を経て、1987年(昭和62年)京急富岡駅に改称されました。同じ年に上り線の待避線が使用開始となりました。

改札口は高架下ですが、地上よりも高い階層にあります。セブンイレブンの売店があります。

改札の外から。駅出入口は東西二箇所です。

さて、京急富岡駅の【駅ぶら】はバスに乗ります。それでも【駅ぶら】と言えるのか?(笑)

良いんです。実は、元湘南富岡駅のあった場所にバスで行ったのです。

【駅ぶら03】京浜急行66 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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