頂上まで石段が267段【駅ぶら03】京浜急行100

2020.07.11

トップ画像は、前回のトップ画像の対岸、東浦賀側から浦賀水道方向を見ています。

手前の突堤に海鵜(ウミウ)君が一羽、羽根を伸ばしていました。

正面には、よこすか浦賀病院とその前の陸軍桟橋が見えます。

東渡船場から東叶神社に向かって歩いています。こんな懐かしい井戸ポンプがありました。

東叶神社の正面です。

2019年(令和元年)に建てられた新しい碑があります。西(スペイン)と墨(メキシコ これは知らなかった!)との貿易の歴史が書かれています。ここにも三浦按針(ウィリアム・アダムス)が登場しています。

東叶神社の境内に入りました。正面の石段を上ります。

その前に「横須賀風物百選」の案内を見ます。それによると、叶神社は、養和元年(1181年)源氏の再興を祈願して高雄山神護寺の僧文覚が京都の石清水八幡宮の霊を迎えたことに始まりました。源頼朝の鎌倉幕府によってその願いが叶ったことから叶大明神と呼ばれる様になります。しかし、それは西叶神社のことの様です。東叶神社は正保元年(1644年)西の本社を勧請しました。また元禄五年(1692年)浦賀村が東西に分かれた時に西浦賀村の叶神社を遷して祀り、西の本宮に対し東の若宮と呼んだともいいます。

神社の裏山は明神山、北条早雲を祖とする後北条氏の時代、房総半島の里見水軍が三浦半島を攻撃したので、防御の為に北条氏康が三崎城の支城・浦賀城を明神山に築き水軍を配置しました。ですから浦賀城の作られた頃はまだ東叶神社は無かったことになります。明神山の自然林は神奈川県指定天然記念物の叶神社社叢です。

東叶神社の石段の両側に「源頼朝が源氏再興を祈って伊豆から移植奉納された」蘇鉄(ソテツ)の大木があります。

蘇鉄は南国の植物で大きくなるのにはとても時間がかかりますが、この辺りは暖かく陽当たりが良いので見事な大木になったのでしょう。

石段を上って東叶神社拝殿。本殿は山頂なのです。

振り返ると「西浦賀みなと緑地」が見えます。あちら側には西叶神社がありますが、工事中と聞いたので寄らずにこちら岸に渡りました。

拝殿横に神輿がしまわれています。石段は「恵仁坂」、これを登って本殿のある山頂、浦賀城の跡に向かいます。

けっこう段差の大きな石段です。膝が痛いのは仕方ないのですが、数えながら登りました。地上から本殿、この石段、さらに右に折れて「産霊坂」を登った山頂までは全部で267段でした。

「恵仁坂」の途中に古くからの末社、湊稲荷社があります。

登ってきた石段を振り返ります。入口の鳥居がずいぶん下にあります。

勝海舟が万延元年(1860年)初めて咸臨丸艦長として太平洋を横断するに当たって水垢離(みずごり)を行い、明神山頂で船玉明神に航海の安全を祈って断食をしたことが書かれています。

さらにこの「産霊坂」を登れば山頂です。

「産霊坂」横に石碑。以下の内容が記されています。

この「産霊坂」は700有余年前に築造されたが、豪雨で崩壊し参詣の道が失われた。そこで浦賀船渠(ドック)株式会社などの賛同で大正12年(1923年)再建された。

・・・と言うコトは、勝海舟が断食した頃は、まだ石段があったのでしょう。

では最後の石段を登って明神山頂に行きます。

【駅ぶら03】京浜急行101 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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