全国の鉄道愛好家3000人が集う ブルーリボン賞、ローレル賞の「鉄道友の会」をご紹介
国鉄が友の会誕生を主導
1953年ごろの鉄道がどうだったかといえば、経済成長に向けた輸送力整備が進んでいました。象徴といえるのが1950年に登場した「湘南電車」。緑とオレンジ色に塗り分けられた国鉄80系電車は、栗色や黒色一辺倒だった鉄道の世界に新風を吹き込み、列車に乗ったり、写真を撮ったり、模型を製作したりと、鉄道趣味を楽しむファンが増えていきました。そうした愛好家を束ねて誕生したのが鉄道友の会で、結成を主導したのが国鉄だったということは記憶しておく必要があるでしょう。
初代会長には〝東海道新幹線生みの親〟として今に語り継がれる、元国鉄技師長の島秀雄氏が就任。その後も天坊裕彦氏、八十島義之助氏、馬渡一眞氏と国鉄や鉄道界の重鎮がトップに就きました。2007年から現在まで会長を務める須田寛氏は、ご存じの方も多いと思いますが、JR東海の初代社長として東海道新幹線品川駅開業などに尽力。ご自身も熱心な鉄道ファンで、国鉄(JR)の駅名を全駅記憶しているという逸話をお持ちです。
海外からアドバイスを求められる
現在の鉄道友の会は会員数約3000人。ブルーリボン賞やローレル賞の選考・表彰のほか、会報「RAILFAN」を隔月刊行します。話が後先になりましたが、取材で訪れた東京・市谷の友の会本部で見本誌としていただいたRAILFANには、「京急新町検車区は旧東海道線の線路跡か?」「高輪ゲートウェイ駅付近の昔話」といった、鉄道ファンなら興味を持ちそうな研究成果が並びます。
コロナ前の話ですが、友の会には海外からの来訪者もありました。ドイツの放送局からアドバイスを求められたのが、「新宿駅を紹介したいが、どういう絵(画像)を撮ればいいか?」。台湾の国鉄に当たる台湾鉄路管理局から相談を受けたのは、「台湾でも鉄道友の会のような組織を創設したいが、どのように会員を集めたり運営すればいいのか?」。鉄道の走るところ、必ず鉄道ファンあり。友の会は鉄道事業者や車両メーカーとは違った形で、日本の鉄道の国際展開に貢献します。