「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一の生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」で注目を集める地は、生まれ育った埼玉県深谷市だけじゃない。

東京都江東区南砂にある江東南砂団地も、渋沢栄一と接点がある地。Googleマップで「江東南砂団地」と検索すると、南が永代通り、東が総武線支線(越中島貨物線)や明治通り、そしてゆるくカーブする南砂緑道公園で囲まれた区域が表示される。

この4辺で囲まれたエリアに江東南砂団地がある。上空写真でみると、「THEマンモス団地」という雰囲気。

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画像はことし2月、永代通りと越中島貨物線が平面交差する幹線3号踏切外から江東南砂団地をみた光景。

このマンモス団地エリアに、巨大車両製造メーカーの東京工場があった――――当時の汽車製造 東京製作所。

当時の汽車製造 東京製作所を上空からみてみる

国土地理院の1963(昭和38)年当時の航空写真でみると、画像中央に縦に走る線が総武線支線(越中島貨物線)。その左側(西側)に汽車製造 東京製作所がみえる。

4辺の敷地のなかで、左上角が曲線になっている線は、現在の南砂緑道公園。このころは城東電車という路面電車(のちに都電)が走っていた。その話題はまたこんど。↓↓↓画像は南砂緑道公園にある城東電車時代をいまに残すモニュメント。

汽車製造は、渋沢栄一らの援助を受け、1896(明治29)年に大阪に設立した汽車製造合資会社がルーツ。

大阪製作所についてもまたこんどにして、この東京製作所でつくられた車両は総武線支線(越中島貨物線)につながる専用線を経て、1km北にある小名木川駅から各地へ運ばれた。

小名木川駅は2000年に廃止し、その跡地にはいまセブン&アイ・ホールディングスグループのアリオ北砂(イトーヨーカドー系)が入り、平日・休日を問わずファミリーでにぎわっている。

汽車製造 東京製作所は、1972(昭和47)年に川崎重工業に吸収されて閉鎖。東京製作所跡地に建った南砂団地が1975~1976年築だから、東京製作所閉鎖から数年でいったん更地になったか。

―――川崎重工業に吸収されるまでの76年間に、機関車約3900両、客車電車約8300両、貨車約4万5600両と、5万7800両以上の鉄道車両をつくってきた汽車製造。

そのなかでもみんなが知る車両たちの一部は↓↓↓に記されてるからチェックしてみて。

◆渋沢栄一らが設立した車両メーカー、汽車製造がつくった車両たち
https://tetsudo-ch.com/11219683.html