JR山手線を走るE235系(写真:T2 / PIXTA)

2022年は鉄道開業150周年。汽笛一声の陸蒸気で始まった日本の鉄道は、新幹線からリニアモーターカーへと今も進化をとげつつあります。その中で昔も今も〝普段着の鉄道〟といえるのが、東京都心部をま~るく走るJR山手線かもしれません。

日本初の鉄道、新橋―横浜間の開業から14年目の1885年3月1日、私鉄の日本鉄道が品川―赤羽間をつなぐ連絡線を開業したのが、山手線の歴史の始まりとされます。本コラムは「山手線今昔物語」と題し、路線の略史に続き、上野駅と池袋駅をピックアップ。新しい話題では、2022年5月に発信された「JR東日本が山手線全線で自動運転をめざした実証運転」を取りあげます。

連絡したのは官設の東海道線と私鉄の東北線

最初の山手線、品川―赤羽間が連絡線(日本鉄道品川線)だったのは、官設の東海道線は始発が新橋駅、私鉄の日本鉄道東北線は始発が上野駅で、新橋、上野間はレールがつながっていなかったためです(新橋駅はその後、貨物駅の汐留駅になって廃止。現在の新橋駅とは位置が異なります)。

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初期の山手線を略年表形式でたどれば、連絡線開業時の駅は両端を含め、品川、渋谷、新宿、板橋、赤羽の5駅。開業月の1885年3月に目黒、目白の両駅が営業を始め、その後線区的には山手線でありませんが、秋葉原(当初は貨物取扱所でした)、田端駅などが開業。日本鉄道は1903年に豊島線として池袋―田端間を開業、この時に池袋、大塚、巣鴨駅が誕生しました。

1903年の日本鉄道豊島線開業時の山手線路線図。ちなみに飯田町(現飯田橋)発着の路線は、JR中央線の前身の甲武鉄道。新宿は最初期からターミナル駅でした(出典:国鉄時代の業務参考資料)

現在のような環状運転を始めたのは、東京―秋葉原―上野間が開業した1925年11月1日。連絡線開業から実に41年目でした。

このまま山手線の歴史を書き続ければ、本一冊分以上のボリュームになってしまいます。ということで話を大幅に端折りますが、最近では(といっても50年以上前ですが)1971年に、営団地下鉄(現在は東京メトロ)千代田線との乗換駅として西日暮里駅が開業。

そして2020年3月14日に山手線49年ぶりの新駅として、田町―品川間に高輪ゲートウェイ駅が開業し、山手線の駅数はきりのいい30駅になりました。