※2022年6月撮影

トップ画像は、「ららぽーとTOKYO-BAY」の前から南を見ています。湾岸道路が見えます。あの向こう側にかつて船橋サーキットがありました

筆者は、市川出身で、1965年に23歳の若さで亡くなったレーサー浮谷東次郎氏のことを想起しました。

実際に訪れた経験はないのですが、浮谷東次郎氏が活躍した船橋サーキットの写真を書籍などで何度も見た記憶が脳裏に浮かびます。

以下はウィキペディアの記述から抜粋しています。

「1965年の船橋サーキット、全日本自動車クラブ選手権でトヨタスポーツ800を駆る浮谷選手は、2位争いをしていた生沢徹のスピンに捲き込まれスローダウン。ピットで応急処置をした浮谷選手はこの後鬼神の如き追い上げで各マシンをごぼう抜き。23週目でトップにたつと2位以下を大きく引き離して優勝。同じ日に、スカイライン2000GTを相手にロータスエランでGT-2レースにも優勝するなど将来を嘱望された若きレーサーでした。しかしその翌月、鈴鹿サーキットでの練習走行中にコース上の人間を避けようとして事故死してしまったのです。」

残念ながら、1965~1967年の極めて短期間しか存在しなかった船橋サーキットは、もはや影も形も残っていません。

その様な事を考えながら船橋競馬場駅に戻ります。いや暑いの何の・・・。

※2022年6月撮影

船橋競馬場駅南口ではなく踏切を渡って北口に向かいました。

※2022年6月撮影

上り電車が出発します。

※2022年6月撮影

大神宮下駅からの前面展望での撮影に苦労した下りカーブを上って行く上り電車を踏切から望遠レンズで撮りました。

※2022年6月撮影

反対側の船橋競馬場駅。

※2022年6月撮影

北口に歩きます。

※2022年6月撮影

船橋競馬場駅北口。でも階段は上りません。デブな筆者は、この時少し足首が痛かったのです。

※2022年6月撮影

エレベーターで橋上駅舎に上がって、次の駅に向かいます。

※2022年6月撮影

余談ですが、若き浮谷東次郎氏が遺した著作をオススメします。筆者が浮谷東次郎氏を知ったのもこの2冊からでした。古書で比較的簡単に入手可能です。

・『がむしゃら1500キロ わが青春の門出』ちくま文庫

中学3年の夏休み、市川市と大阪をドイツ製クライドラー50ccバイクで往復した旅行記。1950年代後半、14歳で運転免許証が取得できました。国道が未舗装だった時代です。

・『俺様の宝石さ わがアメリカ横断紀行』ちくま文庫

1960年から2年半、アメリカにほぼ独力で留学した時の日記や、HONDA CB77でアメリカ大陸を横断した記録。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。