住宅街の中に突然 古墳【駅ぶら】06京王電鉄 京王線144
※2023年8月撮影
トップ画像は、「分倍河原駅」出入口。イキナリの青空は、複数日に渡って【駅ぶら】を撮影しているためです。というか、この陽射しの下を歩くのは、暑かった!(笑)
跨線人道橋を渡ります。
※2023年8月撮影
跨線人道橋から東側。左はJR南武線ホーム。
※2023年7月撮影
同じく西側。右に「分倍河原駅南自転車駐車場」の大きな建物があります。正面に京王線ホーム。この後、筆者はまっすぐ京王線の下を西に歩きます。
※2023年7月撮影
実際に歩いたのはご覧の様に陽射しの超強い日でした。もちろん日傘をさして、首の周囲には「熱中症対策」の保冷剤を装着しています。
※2023年8月撮影
右に「遺跡 高倉塚」の案内があります。
※2023年8月撮影
住宅街に古墳がありました。その大きさにもかなりビックリしました。
※2023年8月撮影
府中市教育委員会の案内板があります。
※2023年8月撮影
以下はその記載内容です。
「府中市指定文化財(市史跡)高倉塚古墳 平成13年10月30日指定
府中崖線(ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在だったことから中世以降には信仰の対象として保存されてきました。
これまでの発掘調査で、墳丘構築工法が判明し、墳丘下層から6世紀前半とされる土師器杯が出土するなどの学術成果があり、高倉古墳群を研究するうえで貴重な資料になっています。
なお、付近の古墳群からは、土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土し、昭和に初め頃に出土した銀象嵌太刀を含む大刀5振は、平成6年2月に市の文化財に指定されています。〈後略〉」
ほとんど飛鳥時代直前の古墳なのですね。社会科で「倭(わ)の国」として国家の形式が整えられ始めたと習った時代です。
その様なコトをボンヤリ考えながら上に登りました。古墳の周囲は完全に住宅に囲まれています。
※2023年8月撮影
古墳から100mちょっとの「光明院坂」に来ました。
※2023年8月撮影
次回に続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)