北陸新幹線の延伸開業でますますアクセスが便利になる福井県
今回は福井県の玄関口になる福井市にある、観光スポットをご紹介します。

福井市内最大の観光スポット「一乗谷朝倉氏遺跡」

一乗谷 朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき)は、福井駅から南東に約10キロ、福井市の一乗谷という地域にある戦国時代の遺跡で、福井市内最大の人気観光地です。子供から大人まで、歴史好きな方もそうでない方も楽しめるような場所です。

山城である一乗谷城と、その山麓の朝倉当主の館や家臣の武家屋敷などがある城下町、石仏群の残る寺院跡や庭園跡などからなっています。

朝倉館跡(朝倉義景が住んだ館の跡です)

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ここは、戦国大名 朝倉氏が五代103年間にわたる越前支配の拠点としていた場所で、越前の中心地として栄えていました。戦国時代の朝倉義景の代に、織田信長との戦いに敗れ彼の軍勢によって火を放たれた町は消滅し、その後田畑の下に埋もれてしまいます。1967年から発掘調査が進められた結果、良い状態で埋まっていたこの遺跡からは、様々なものが見つかったのです。

一乗谷朝倉氏遺跡は278haという広大な範囲が特別史跡に指定されており、さらに諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、朝倉館跡庭園、南陽寺跡庭園の四つの庭園が特別名勝に、遺跡出土品のうちで2,343点が重要文化財に指定されています。

一乗谷朝倉氏遺跡に行くなら、まずは「復原町並」へ

一乗谷朝倉氏遺跡の観光を開始するなら、まずは「復原町並」(下記地図で5)を目指すのが良いでしょう。
この周辺には大きな駐車場が数多く整備されており、福井駅西口からのバスなどもここに停車します。

復原街町並で配布されていたMAP(一乗谷朝倉氏遺跡活用推進協議会)

一乗谷朝倉氏遺跡の「復原町並」は文字通り、昔の「街並み」を「復原」している地域です。朝倉氏の館がある場所(上記地図7)からは、ちょうど道路を挟んだ向かい側に位置しています。

発掘調査で見つかった塀の石垣や建物の礎石をそのまま使用して、城下町の街並みを忠実に再現したもので、約200メートルにわたる道路に面して整然と配置された武家屋敷と職人等の町屋からなっています。

復原街並へは、北側と南側にある入場口から出入りします

1995年に、発掘結果や史料等を参考に、当時の町並みを200メートルにわたって再現した復原街並ですが、原寸大の立体模型としては、日本初のものになります。

一般大人で330円、小中学生と70歳以上は100円の入場料になります(駐車場は無料)。

戦国時代の朝倉の城下町を200mにわたり再現 写真映えします

100尺(約30m)を基準に計画的に町割がなされたという町並みは、京都のように整然としていたようです。塀の石垣や建物礎石はそのままのものを使用していますが、柱や壁、建具なども、出土した遺物に基づいて忠実に再現されているものだそうです。

門をくぐると、武家屋敷が復原されていました。約30m四方の、基準的な広さのものだそう。

復原された 武家屋敷

上写真の武家屋敷ですが、右に井戸があり、その奥の小さな建物が便所で更に奥の大きな建物が 主殿 になります。左の黒い壁の建物が物置で、この他に納屋もあります。

主殿に入ると、手前が土間、奥には畳の座敷が見えています

屋敷の中心となる主殿は6間×4間の広さ、寝食など生活をしたり、接客をする建物です。様々な生活道具を置いて、当時の人の生活を再現しています。

主殿の中 左は2つの和室。右は土間や囲炉裏、板の間の台所があります

復原されている武家屋敷を離れ、別の門をくぐってみましょう。

ここは、屋敷などの建物は再現されていませんが、かなり大規模な武家屋敷があった跡が残っているようです。

大規模な武家屋敷の跡だったため、朝倉氏の重臣の屋敷だったと思われるそうです

この辺りは、壁や門などのみは復原されていますが中の建物の再現は無く、発掘された井戸や建物跡、庭園の跡などの遺跡が見られるようになっています。

井戸や庭園跡などが残されています。壁の向こうが道路になります

次に、また違う門をくぐってみると、横に長い建物に、数軒分の入口が並びます。
中に入ってみると、そこは商家(商人の家・お店)のようです。

長屋のような建物に3軒ほどの家が入っています。中はお店が再現されていました

手前に土間があり、奥の板の間には商品である焼き物などが並んでいて、商売をしている様子が再現されています。板の間の左側には部屋がもう一つあり、そこが寝室のようです。

再び、道に戻ってみましょう。
この辺りは町人が住む町家が並ぶ場所のようです。

入り口に暖簾がある、お店の建物が並びます
建物の中には大きな かめ がいくつも並びます

「染」暖簾のある建物に入ってみると、染料が入った 大きなかめ が並んでおり、染物屋さんのようです。
実際に一乗谷朝倉氏遺跡では、藍染め職人が用いた直径90センチの大甕(おおがめ)が発見され、染料も見つかっています。

武家屋敷の門

復原街並は架空で作られた街並みではなく、戦国時代に実際に存在した街を、発掘された遺跡や資料などからの情報を元に、忠実に再現することを試みたものになります。

街並みの中にある石垣や門、建物の壁なども、可能な限り当時のものに近いものとして復原していますので、戦国ロマンを感じながら、その辺りも是非観察してみて下さい。

朝倉氏について

朝倉氏は南北朝時代に越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し越前国(えちぜんのくに)を平定しました。

以後、孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、「北陸の小京都」とも呼ばれました。

しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。
(※福井市の説明より一部を引用 http://fukuisan.jp/ja/asakura/)

この後、城下町などが土中に埋もってしまったため、400年以上もかなり良好な状態で保存され、私たちが現在目にすることができているということになります。

戦国大名 朝倉義景の館の跡「朝倉館跡」

復原町並から道路を挟んだ山側にあるのが、「朝倉館跡」(あさくらやかたあと・下地図の7)で、第5代当主 朝倉義景(あさくらよしかげ)が住んだ館の跡です。

朝倉義景は、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」ではユースケ・サンタマリアさんが演じました。

この朝倉館の背後の山が、一乗谷城があった山です。戦国時代に使われた、竪堀(たてぼり)という敵が攻めにくくする構造物が、140箇所も残っているそうです

この山の上には山城の一乗谷城があり、その麓に朝倉館がありました

人がいる通路の向こうには濠が掘られ、その向こうには土塁と館の入り口になる門が見えています。

復原町並で配布されたMAP 、7が朝倉館跡(一乗谷朝倉氏遺跡活用推進協議会)

朝倉館跡の入口にある「唐門」(からもん)。朝倉義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門で、豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられています。

現在見られる門は江戸時代中頃に建て替えられたもので、門内の上部には朝倉家の「三ツ木瓜」の紋と、豊臣家の「五三の桐」の紋が刻まれています。戦国時代当時のものは、まだ地中に埋もれているそうです。

濠と土塁に囲まれた、朝倉義景館跡の入口「唐門」

唐門から敷地内に入ります。内部は約6,500㎡程の敷地があり三方は土塁(どるい)と濠で囲まれています。

常御殿(つねごてん)、主殿(しゅでん)、会所(かいしょ)、茶室(ちゃしつ)、日本最古の花壇のほか、台所、厩(うまや)、蔵などが整然と配置されていました。

館内の建物配置はこのような感じだったようです

敷地内の建物は復原されていませんが、館跡や庭園などが、戦国時代の当時のまま、広い敷地内に残されています。

石の上には、規則正しく並んだ建物の柱の跡があるのがわかります。

朝倉義景の館にあった、色々な建物や庭の跡などを見ることができます

敷地内の東側奥にある「朝倉館跡庭園」は、国の特別名勝4庭園の中では、一番最後に発掘調査が行われました。当時完全に土の中に埋もれており、発掘調査により約450年ぶりに発見されました。

池の底には、平らな石が美しく敷き詰められており、池の護岸は、出入りが多く、大小さまざまな庭石で構成されています。

この辺りは透明の歩行者通路が整備されていて、下の遺跡跡が見やすいようになっています。

室町時代末期の庭園の様式を伝える「朝倉館跡庭園」

敷地内には、見学客が歩くための通路が整備されています。
この館では、義景が永禄11(1568)年に、後の15代将軍、足利義明を招いて盛大にもてなしたことが、「朝倉亭御成記」などによりわかっています。

奥の山に少し登り振り返ると、その広さと館の跡がよく分かります

朝倉館跡から、そのまま続く、奥の山の方向へ登り、他の庭園を見てみます。

一乗谷朝倉氏遺跡にある4つの特別名勝の庭園

一乗谷朝倉氏遺跡では、15か所もの庭園が発掘されたようですが、その中でも保存状態が良く貴重なものが4つ国の特別名勝に指定されていますので、「朝倉館跡庭園」以外もご紹介します。

高台に上ってすぐ右側の広場にあるのは、「湯殿跡庭園」(ゆでんあとていえん)です。縦長の石を多く用いた庭石組から、戦国大名の庭らしく豪壮で力強い印象が感じられるという事です。

当主館背後の高台にある「湯殿跡庭園」 先ほどのMAP 9

湯殿跡庭園の方に行く分岐まで戻り、さらに山道を少し上ったり下ったりをした後にたどり着くのが「南陽寺跡庭園」(なんようじあとていえん)です。

南陽寺は朝倉家の子女が入寺する禅宗の尼寺で、戦国期には豪華さを誇っていたそうです。永禄11(1568)年に、足利義明をもてなすために、糸桜の下で歌会が開かれたと伝えられています。

足利義明をもてなすために作られた「南陽寺跡庭園」 MAP8

この庭園に行く間の道には、こんな看板も。ここから山頂方向を目指す方は、時期によっては気を付けなくてはいけないのかもしれませんね。

山城(一乗谷城)までは、ここから1km山の奥に登り入るようです。

南陽寺跡庭園から、朝倉館跡の方向に戻り、途中から「英林塚」の方向を目指します。
英林塚」というのは、一乗谷初代の朝倉孝景(あさくら たかかげ・朝倉家第7代当)の墓所の事だそうです。

一乗谷の初代にあたる朝倉孝景の墓所 「英林塚」 MAP10

英林塚から、麓の方向に向けてなだらかに下っていきます。

正面には復原町並が位置していますので、戦国時代には1万人以上が暮らした華やかな城下町がこの丘の上から見えていたのだと思います。

写真右が朝倉館跡の方向、左は諏訪館跡の方向です

下る途中を左へ、「諏訪館跡庭園」(すわやかたあとていえん)を目指します。

諏訪館は、朝倉義景の妻が居住した館だったと伝えられています。一乗谷で最も規模が大きい庭園が、この諏訪館跡庭園です。

上下2段の構成となっていて、下段の滝石組みは高さ4m13cmの巨石が使われています。日本でも第一級の豪華さを誇る庭園といわれています。

一乗谷朝倉氏遺跡で一番大きな庭園「諏訪館跡庭園」

朝倉館跡と、その周辺にある、貴重な庭園などをご紹介しました。

一軒古民家の美味しい蕎麦屋「朝倉の里 利休庵」

一乗谷朝倉氏遺跡の近くで、お昼ご飯と食べるなら、古民家でのお蕎麦はいかがでしょう。
ご紹介するのは、「朝倉の里 利休庵(りきゅうあん)」という蕎麦屋さん。古い日本家屋で手打ち蕎麦が食べられるという名店です。

日本民家のお蕎麦屋さんです

店内は、実家や祖父母の家に帰ったような雰囲気が感じらる、古風な日本民家の造りになっています。

縁側からは庭が眺められ、落ち着いた座敷で食事をすることができます。

田舎の実家に帰ったような和室空間が広がります

この「朝倉の里 利休庵」には、ペット犬と一緒に部屋に入れるような個室も、2部屋用意されているようです(ペットが入れる部屋は人気のため事前に電話で予約をお願いします)

手打ちそばのメニューの中で、今回は福井で有名なおろしそば、乗谷そば(普通730円、大盛1150円)を注文します。

この辺りの三つ蜂という場所を源流とした井戸水を使って作られた蕎麦だそうです。大根おろしの他に、鰹節と刻みネギが乗っています。適度な歯ごたえがありのど越しも良くておいしいお蕎麦でした。

一乗谷そば(おろし蕎麦) 大盛 1,150円

こちら「朝倉の里 利休庵」は、敷地内にも駐車場は有りますが、朝倉氏遺跡の第4駐車場からも歩いてすぐの場所にあります。復原町並あたりからは、徒歩10分程度です。

◆朝倉の里 利休庵
営業日時:10:00~16:00、水曜定休、冬季期間は10:00~14:00

この他に、一乗谷朝倉氏遺跡の中には「一乗谷レストラント」というレストランがあります。こちらにも蕎麦や定食などのメニューが用意されていますので、是非、地元の美味しいものを食べてみてください。
(「一乗谷レストラント」ランチタイム11:00~14:30、カフェタイム14:30~16:00、定休日 :火曜日 ※冬季はカフェタイムはお休み)

右:一乗谷レストラント、左:一乗谷史跡公園センター

一乗谷朝倉氏遺 その他の遺跡

ご紹介をした「朝倉の里 利休庵」の方向に行った場所にあるのが「上城戸跡」(かみきどあと、MAP12)。

上城戸は一乗谷の南側の防衛施設の1つで、一乗川上流の谷の幅が狭い位置に設けられました。幅約105mで、高さ約5.0mの土塁で、外側には堀が配置されています。内側には上城戸の際まで町屋や道路が作られていたようです。

第3駐車場と第4駐車場の間にある 「上城戸跡」 MAP12

一乗谷の北端の谷幅が最も狭くなったところには、「下城戸跡」(しもきどあと、MAP3)が残っています。

谷の幅が一乗谷最短の約80mの位置に、こちらも敵の攻撃や侵入を防ぐためにつくられ、高さ4m、長さ38mの土塁が残っています。土塁の西側に巨石を組み合わせた通路跡があって、ここが城下町の入口になっていました。

下城戸を境にして城下町と城外が区分けされていた為、一乗谷城下にとっての最終防衛ラインとして重要視されていました。

「下城戸跡」MAP3 枡形を形成することで城下町に入る道筋を限定する作りに

下城戸跡から更に北側に進むと、JRの一乗谷駅があります。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館

JR一乗谷駅の近くにある「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」は、2022年10月1日にオープンした新しい施設です。屋内なので天候を気にせずに、一乗谷朝倉氏遺跡に関する展示を見ながら楽しめます。

施設内にあるジオラマでは遺跡内の城下町を1/30スケールで再現しており、また、先ほど紹介をした5代当主 朝倉義景の居館の一部が、なんと原寸大で復原されています。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館

この施設は、「一乗谷駅」下車で徒歩3分の場所になりますが、福井駅西口からのバスや、遺跡周遊バス(土日などのみの運行)でも行くことができます。

より深く一乗谷朝倉氏遺跡を知ることができる施設になっています。

◆福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館
営業日時:9:00~17:00、毎週月曜日、年末年始は休館
基本展示観覧料:一般700円、高校生400円、小中学生200円、70歳以上350円
https://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/

一乗谷には剣豪 佐々木小次郎 に関する見どころも

福井市内の一乗谷朝倉氏遺跡をご紹介してきましたが、実はここ一乗谷は、巌流島で宮本武蔵と対決した、剣豪・佐々木小次郎が生まれたとされるところでもあるんです。

朝倉氏遺跡を貫いて流れている一乗谷川ですが、その上流には落差17mの荘厳な水の糸を引く一乗滝という滝があります。

一乗滝の周辺の案内板

宮本武蔵と佐々木小次郎が関門海峡にある巌流島で対決した際に、宮本武蔵が大きく遅刻をしたという話が有名ですが、この出来事は慶長17年(1612年)4月13日とされていますので、江戸時代の出来事です。

佐々木小次郎は、この一乗谷剣術修行の旅を経て、自らの流派である「巌流(がんりゅう)」を創始した人物で、 得意技は刃渡り3尺余(約90cm以上)とされる日本刀で空飛ぶ燕を斬り落とす秘剣「燕返し」です。

この一乗滝は、佐々木小次郎が「燕返し」をあみだしたところと伝えられています。

落差は約17mの「一乗滝」

一乗谷へ行った際には、この佐々木小次郎のゆかりの滝を、見に行くのも良いかもしれません。

一乗滝の前にある、佐々木小次郎の銅像

北陸新幹線で近くなった福井市内にある朝倉氏の貴重な遺跡の数々。
福井市内に、このような戦国時代を知るために重要な資料となる遺跡が残されていたこと、皆様はご存じでしたか?
復原された、戦国時代の城下町の様子や、戦国大名の住んでいた館がそのままの状態保存されているという大変貴重な体験できる場所ですね。

さて、一乗谷朝倉氏遺跡までのアクセスも記しておきます。
レンタカーなどの車では、福井駅から約20~25分程度
バスは、福井駅西口から京福バス/一乗谷東郷線、もしくは福井駅東口から福井交通/朝倉・永平寺ダイレクトバス(本数は少ないです)
列車だと、JR九頭竜線の一乗谷駅(福井駅⇔一乗谷駅は約18分)

是非、福井県を訪れる際には、この「一乗谷朝倉氏遺跡」やその周辺をお楽しみください。

(鉄道チャンネル)

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