※2003年9月撮影

トップ画像は、2003年(平成15年)、21年前の上野駅ホーム。奥に寝台特急が停まっています。

当時筆者は、家電メーカーのサラリーマン。山形駅に行く出張でした。

新幹線で行けば良いのですが、筆者は、前日に上野から寝台特急「あけぼの」で余目駅まで行って、陸羽西線で新庄駅。さらに新庄駅から新幹線で山形駅に行くという遠回りをしました。

※2003年9月撮影

現在では、経理部から遠回りを指摘されてタイヘンな事になると思いますが、21年前、筆者は部署の責任者だったので、適当な理由を付けて、この様なアホな経路で出張できたのです。

乗ったのは、開放B寝台オハネフ25 129。

※2003年9月撮影

案の定、出張から戻って経理部からこのヘンな経路を「無駄な出費」と指摘されて、かなりヤヴァかったのですが、仲の良かった役員のおっちゃんが、庇ってくれて事無きを得ました。もちろん、以降、寝台特急での出張は不可能になります。

筆者は子供の頃から、夏休み、冬休みは父母の実家のある関西に行くのが習慣でした。東海道新幹線を使っていたのですが、高校生の時にふと思いついて、東京-大阪間を往復していた寝台急行「銀河」に乗りました。

これが、思いの外、楽しかった。

東京駅を21時頃に出発、開放B寝台の通路に坐って缶ビールを飲み(高校生だろ、コラ!)灰皿もあったので一服しながら、夜の東京を眺めました。新幹線と違って、スピードは速くありません。そのノンビリ流れる夜景の情緒が最高でした。

※2003年9月撮影

当時の開放B寝台は、三段ベッドだったと思います。とにかく時間調整なのか深夜に駅で長時間停車しました。

真夜中の名古屋駅では、ホームに終夜営業のきしめん屋があって、夜中に食べるきしめんが何とも美味しかった。懐かしいなぁ。

すっかり寝台急行「銀河」が好きになって、大学生になっても専ら「銀河」で東京・大阪を往復しました。その時に乗っていた車両がオハネフ25だったのです。

2003年の業務出張、優秀なので別の部署から引き抜いてきた部下が「面白そうっすね~」と付いてきました。彼は北陸出身だったかな。

※2003年9月撮影 オリジナル写真が4:3です

たぶん上野駅から在来線に乗るのは、中学校を卒業した春休みに「東北周遊券」で一周間、東北を彷徨った時以来だったのではないかしら。

※2003年9月撮影

車内で部下と酒盛りをして就寝。

夜明前、余目駅で下車。

※2003年9月撮影

当時は、ローカルな駅に下車した経験がほとんどなかったので、見るモノが珍しくてとても新鮮でした。

※2003年9月撮影

ここから陸羽西線の各駅停車で新庄駅に向かいます。

※2003年9月撮影 オリジナル写真が4:3です

でも乗り継ぎまでたっぷり時間がありました。ホームの古い駅名標。

※2003年9月撮影

というか、誰もこの様なアホな乗り継ぎをしないので、余目駅は無人状態でした。(笑)

※2003年9月撮影

陸羽西線は最上川に沿って走ります。

※2003年9月撮影

それまでほとんど新幹線にしか乗ってこなかったので、ノンビリ走るローカル線各駅停車の車窓に筆者は、すっかり魅せられました。

今は駅舎が改築された古口駅の旧木造駅舎です。

※2003年9月撮影

正面にまわって駅舎を撮っておけば良かったのですが、当時そこまで気がつきませんでした。何しろ、ローカル線の木造駅舎自体がほとんど初めてだったのです。

陸羽西線は非電化なので気動車です。ほとんど気動車に乗った経験もありませんでした。筆者の生活圏に気動車は走っていないのです。

※2003年9月撮影

陸羽西線は、単線なので列車交換で停車していたのだと思います。これも初めての経験。

※2003年9月撮影

この出張の鉄道旅で筆者は、もっとローカル線に乗りたくなりました。

しかしサラリーマンには、なかなかその機会がありません。それに青春18きっぷの存在も、まだ知らなかったのです。筆者は47歳でした。

遅れて来た、鉄道ファンという按配です。(笑)

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。