コラム【鉄の余談】34 廃止された札沼線に乗りました④
※2019年6月
トップ画像は、JR北海道札沼線非電化区間の知来乙駅に到着する下り浦臼行列車。既にコラムに登場したキハ 40 401でした。
他のJR北海道のキハ40改造車両と異なるのは、乗降扉がJR北海道のコーポレイトカラー(萌黄色)に塗られていることです。
※2019年6月
既に書きましたが、キハ40 401、402は、2023年(令和5年)3月廃車になっています。淋しいですが、もう見るコトはできません。
道道11号線踏切から知来乙駅。
※2019年6月
札沼線非電化区間廃止後、線路、ホーム、駅舎、全てが撤去されて更地になっています。残念ながら、この風景は、もう存在しません。
道道からのアプローチ。花が飾られていました。
※2019年6月
木造駅舎(待合室)。奥に道道があります。
※2019年6月
駅舎内に駅ノートなどが置かれていました。
※2019年6月
時刻表を見ると、先ほどの下り列車は、12:14浦臼行だったことが分かります。新十津川駅行は、8:14の下り列車だけです。切符は販売されていませんが運賃表があります。石狩当別と浦臼までが同じ360円。
※2019年6月
中小屋まで(5.4km)は210円ですが、豊ヶ丘が230円なのは、石狩月形までが2.1kmなのにその先の豊ヶ丘までが4.7kmもあるから(計6.8km)ですね。
月形町の札沼線のポスター、他で見たことが無かったので「いいなぁ」と感じました。
知来乙駅から2.1kmで石狩月形駅。
※2015年3月撮影
駅名標の反対側。島式ホームの幅が狭いので車内からでないと写せません。
※2016年9月撮影
ホームの幅が狭いのが分かります。石狩月形駅は、石狩当別駅から終点の新十津川駅間で唯一列車交換出来る駅です。一閉塞の新十津川側から来た列車なので、駅員さんにタブレットが渡されました。筆者は、タブレットをほとんど見たことがありませんでした。
※2016年9月撮影
石狩月形駅は、1935年(昭和10年)開業。1943年(昭和18年)太平洋戦争激化で不要不急路線として石狩追分駅までの下り方面が休止。翌1944年(昭和19年)には、石狩当別駅まで上り方面も休止。駅も休止されます。1946年(昭和21年)石狩当別~浦臼間が営業再開。駅の営業も再開しました。2020年(令和2年)5月札沼線非電化区間(北海道医療大学~新十津川)廃止。石狩月形駅も廃止。
石狩月形駅舎正面。
※2019年6月撮影
この駅舎は、駅廃止後、町道建設のため解体撤去されました。
もう存在しない駅舎内です。きっぷうりば(出札窓口)があります。
※2019年6月撮影
待合室。来たのが6月なので分かりませんが、冬期はストーブが焚かれていたのでしょうか。どこかしらホッコリする待合室だと感じました。
※2019年6月撮影
構内踏切で島式ホームに渡ります。
※2019年6月撮影
島式ホームに上がるスロープ。奥が石狩当別方面。島式ホームの狭さが分かります。
※2019年6月撮影
ホーム側から駅舎。この部分に町道が作られた様です。
※2019年6月撮影
ホームから駅舎。
※2019年6月撮影
2015年3月の後方展望。除雪車両がありました。
※2015年3月撮影
次回は、秘境駅として有名な豊ヶ丘駅です。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。