コラム【鉄の余談】46 廃止された留萌本線に乗りました⑥
※2016年9月
トップ画像は、2016年(平成28年)12月に廃止されたJR北海道留萌本線留萌駅~増毛駅間の朱文別(しゅもんべつ)駅。舎熊駅から1.7km。コンクリート板の敷かれた単式ホーム。
ホームのスロープの近くに駅舎(待合室)がありました。
※2014年7月
駅名標。
※2014年7月
朱文別駅は、1963年(昭和38年)仮乗降場として開業。その24年後、1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承され、その時に駅に昇格しました。2016年の留萌~増毛間廃止にともなって廃駅。
朱文別駅の後方展望。
※2016年9月
1.3kmと短い駅間で箸別(はしべつ)駅。ホームは、木製。右手前、樹木の陰に駅舎(待合室)があります。
※2016年9月
駅名標。集落があります。
※2014年7月
1963年に仮乗降場として開業しました。他の仮乗降場だった駅同様、1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に引き継がれた際に駅に昇格しています。2016年(平成28年)留萌~増毛間廃止にともない廃駅。
さて、2016年9月往路の箸別駅ですが、筆者は、この写真を撮った記憶がないのです。列車交換は無いので、長めに停車する理由がありません。しかも低いカメラ位置です。どうやって撮ったのでしょう?ホームに腹ばいになった記憶もありません。車両は明らかに後部がホームに入っていません。
謎の写真です。すみません。
※2016年9月
箸別駅後方展望。2014年7月です。
※2014年7月
2016年の帰路。前面展望ですが、鉄道ファンがカメラを構えています。廃止まで3ヶ月、青春18きっぷで全国から大勢の鉄道ファンが留萌本線に来ていました。
※2016年9月
駅舎(待合室)を狙いましたが・・・。
※2016年9月
増毛の駅予告票。
※2016年9月
車窓右側に増毛港が見えて来ました。赤い灯台は、後述の映画に何度も登場しています。
※2014年7月
かつてはニシン漁がものすごかったそうです。(2014年の運転士さん談)
※2014年7月
箸別駅から2.8kmで増毛駅。写真は2016年。カメラを構えた人が・・・。
※2016年9月
駅名標。2014年には枠が錆びていましたが、綺麗になっていました。
※2016年9月
増毛駅は、1921年(大正10年)開業。当初石炭の積み出しで留萌港が使われる予定でしたが1910年(明治43年)から始まった港の整備に時間がかかり、輸送用に増毛港を使うために鉄道が延伸されたのです。留萌は波が荒く港の完成は1929年(昭和4年)まで足かけ20年近くかかりました。
筆者も、1981年(昭和56年)に公開された映画『駅 STATION』で吹雪の増毛駅や風街食堂を見ました。「いつか増毛に行ってみたい」と思ったのは、映画の影響かもしれません。
しかし増毛の冬の厳しさは映画からも伝わってきます。筆者は、2014年(平成26年)7月と留萌~増毛間の廃止が決まった後の2016年(平成28年)9月に留萌本線で増毛を訪れています。その直後の2016年12月に留萌~増毛間は廃止され、増毛駅も廃止されました。
2016年は廃止の前に留萌本線に乗る多くの乗客がいました。ちょうど青春18きっぷのタイミングという事もあって全国から鉄道ファンが集まったのです。ホームから駅舎。
※2016年9月
運転士さんが「これだけ客が乗っていれば廃止にならなかったのに」と苦笑していました。
2014年の増毛駅は閑散としていました。望遠レンズなのでホームと駅舎の距離が短く感じます。
※2014年7月
駅舎出入口。ホームは、左奥です。
※2014年7月
土産屋が駅舎内にありました。映画では、この左側に改札口がありました。
※2014年7月
出入口の扉に貼ってあった注意書き。(笑)
※2014年7月
次回は、増毛の町を散歩します。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。