※2016年9月

トップ画像は、2016年(平成28年)12月に廃止されたJR北海道留萌本線留萌駅~増毛駅間。瀨越(せごし)駅から4.0kmの礼受(れうけ)駅。前面展望です。

この区間の廃止が決まってから大勢の鉄道ファンが全国から来ています。礼受駅ホームにもカメラを構えた人がいました。

駅名標。遠く日本海が広がります。

※2014年7月

礼受駅は、1921年(大正10年)開業。有人駅時代の駅舎は、80年代に撤去され現在の貨車駅舎になっています。2016年(平成28年)12月留萌駅~増毛駅間が廃止され駅も廃駅。

駅舎の向こうも海。

※2014年7月

礼受駅の後方展望。現在は、マップで探しても駅の痕跡を見つけるコトができませんでした。

※2014年7月

1.3kmと短い駅間で阿分(あふん)駅。単式ホームの右に駅舎(待合室)の屋根が見えます。

※2016年9月

ここはホーム長が短く、ちょっと仲良くなった運転士さんは「吹雪の夜に、ここや箸別のホームにピタッと車両を停めるのはスゴク難しいんだよ、札幌駅なんか寝てても停められる」と笑ってました。同時に「誰も乗り降りしない吹雪の夜、乗客のいない車両を一人で運転してるとホントに心の底から淋しくなる」とのこと。

乗客は筆者一人だったし、ず~っと運転席の横で前面展望を眺めていたので自然と話をする様になったのでした。

余談です。運転中の会話は、本来NGのハズですが、全国のローカル線で他にお客さんがいない時、運転席の横で前面展望を見ていると、何人もの運転士さんから話しかけられてついつい楽しく会話しました。中には、「最終で誰も乗っていない車両、雨の降る山奥を歩くような速度で延々と運転していると、ふと恐くなるコトがある、そんな時はキャロルの歌を大声で歌うんだ」と言っていた芸備線の運転士さんや、スイッチ・バックしながら撮影ポイントで減速してくれた木次線の運転士さん、勾配と気動車の燃費の関係を実際にギアを選びながら延々と解説してくれたJR四国の運転士さんもいました。

閑話休題。

駅名標。背後の阿分小学校は、1883年(明治16年)創立の歴史ある小学校でしたが、2015年(平成27年)131年の歴史を閉じました。この写真を撮った2014年7月が最後の年だったのです。夏休み(撮影は7月29日)なので児童はいません。

※2014年7月

2016年9月の駅名標。背後の旧阿分小学校は、廃校後なので1階の窓が板で塞がれています。

※2016年9月

阿分駅の後方展望。ホーム左の樹木の陰に辛うじて黄色い屋根の駅舎(待合室)が見えます。廃駅後、ホーム、駅舎は撤去され、何も残っていません。旧阿分小学校の校舎はそのままです。

※2016年9月

留萌本線の留萌駅~増毛駅間唯一の阿分隧道。

※2016年9月

阿分駅から2.7kmで信砂(のぶしゃ)駅。

※2016年7月

駅名標。

※2017年9月

駅は、1963年(昭和38年)仮乗降場として開業。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承されると同時に駅に昇格。1990年代に信砂川河川改修工事の影響で駅が移設されました。2016年(平成28年)12月留萌駅~増毛駅間廃止にともなって廃駅。

信砂駅後方展望。廃駅後、ホーム、駅舎は撤去され、駅があったことが分からなくなっています。

※2016年9月

0.8kmとJR北海道で最も短い駅間で舎熊(しゃぐま)駅。海側にホームと貨車駅舎が見えます。

※2016年9月

駅舎には「マムシに注意 マムシが出ます! お足元にご注意ください 留萌駅長」という注意書きが貼ってありました。有人駅時代の基礎の上に貨車駅舎が設置されています。特に湿地ではないので、何故マムシが出現するのかは分かりません。

※2016年9月

駅名標。流石、北海道、実に強烈な駅名が続きます。

駅の周囲は民家が並んでいました。

※2014年7月

駅は、1921年(大正10年)開業。2016年(平成28年)留萌本線留萌駅~増毛駅間の廃止にともなって廃駅。

舎熊駅の後方展望。廃止後、ホーム、駅舎は解体撤去されて更地になっています。

※2014年7月

次回は、終点の増毛に着きます。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。