【私鉄に乗ろう 61】平成筑豊鉄道糸田線 その1(5)

2018.07.16

金田駅から外に出て見ました。駅舎正面を下手から。

こちらは上手側。温泉施設「ふじ湯の里」を運営する方城振興開発と「日王の湯温泉」を運営する財団法人福智町健康交流体験協会が共同でネーミングライツを取得しています。森鴎外の文学碑が置かれています。写っていない右手は平成筑豊鉄道の本社が駅の建物に入っています。

これは島式ホームの田川伊田方面から直方方面を見ています。金田は2面4線。

右の単式ホームが1番線田川伊田方面で、筆者が直方から乗ってきた直通糸田線田川後藤寺行は1番線からの発車。※写真は田川後藤寺から戻った時に撮影したものなので1番線に列車はいません。1番線ホーム側に上の駅舎があります。

島式ホームには、2番線の田川後藤寺側に切り欠きの3番線があって臨時ホーム。2番線が直方方面、対面の4番線は始発の糸田線田川後藤寺方面です。

島式ホーム2番線駅名標。

1番線に停車していた糸田線田川後藤寺行の出発です。

糸田線概略

元々は筑豊炭鉱から出た石炭を輸送するために敷設された路線です。6.8kmの区間ですが、宮床(現・糸田)〜後藤寺間が貨物線の初代豊州鉄道支線として開通。1901年(明治34年)に九州鉄道に合併された後、1907年(明治40年)の鉄道国有法で買収・国有化され宮床線になります。
金田〜宮床(現・糸田)間は金宮鉄道により1927年(昭和2年)に開業しましたが、開通した年に九州産業鉄道に譲渡されます。九州産業鉄道は産業セメント鉄道に改称します。1943年(昭和18年)に戦時買収で上記国有鉄道の宮床線に編入され、金田〜後藤寺間は糸田線に改称されました。筑豊炭鉱の衰退で石炭輸送は無くなり乗客も減少した結果、国鉄再建法の第3次特定地方交通線に指定されJR九州に承継後1989年(平成元年)に伊田線、田川線とともに平成筑豊鉄道に転換されました。

伊田線は複線、糸田線は単線の3本が並走します。乗っている田川後藤寺行は渡り線で一番右の糸田線に移ります。

ここで伊田線は左に、糸田線は右に別れます。

予告票が読めません。

1.5kmで豊前大熊駅。ホームが左カーブしていて写すのが困難です。単式ホームで列車交換はできません。

20年ほど前までは小さな駅舎があって、さらに昔は有人駅だった様です。現在はホーム上の雨避けの待合室があります。駅名標。1942年(昭和17年)に産業セメント鉄道の旅客駅として開業しました。1943年(昭和18年)戦時買収で国鉄になり、そのまま平成筑豊鉄道に転換されています。ネーミングライツで”Mr.Max”が付いています。

では、次回【私鉄に乗ろう 61】平成筑豊鉄道糸田線 その2(6)に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

TAGS 平成筑豊鉄道 鉄道旅


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