順番が前後しちゃいますが、大塩駅姫路側のホーム端。ドアカット確認とありますね。確かにこれ以上ホームは延ばせないです。

天川を渡ります。川の手前、山側には緑が広がっていました。このエリア、豊かな自然と工場地帯が混じり合っています。もちろん住宅も多いのですが農地・耕作地も広い。市街地と一概には呼べない感じですが、では何とよぶのかな。

1.5kmで山陽曽根駅。駅舎に表示がありますが出入口は山側の様です。駅舎の1階、手前側は焼き鳥屋さんの店舗が入っていました。提灯で分かります。2階部分は空いていたのかな。踏切の左側を進むと曽根天満宮の立派な鳥居があります。

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手前に構内踏切。ホームがカーブしています。

駅名標の背後は高砂市立曽根小学校。低学年が体育の授業をやっています。山陽曽根駅は、1923年(大正12年)神戸姫路電気鉄道開業時に曽根町駅として設置されました。1924年(大正13年)電鉄曽根駅に改称。1933年(昭和8年)山陽電鉄の駅になり、1991年(平成3年)山陽曽根駅に改称。自動改札、乗車券自販機、清算機などが置かれた無人駅です。

駅名の元になった曽根天満宮は駅の北100m程にあります。JR山陽本線の曽根駅は北に2kmほど離れています。

ここからは県道の跨線橋が2本、最初が県道395号線。

もう1本、県道391号線。見ての通り、線路沿いにあまり動車の通行は多くないのです。

6000系下り電車とすれ違います。

1.6kmで伊保駅。右手前に駅舎があります。

駅名標。1923年(大正12年)神戸姫路電気鉄道開業時に設置。1933年(昭和8年)山陽電鉄の駅になりました。駅の周囲は住宅街。商店街はないのかな。

子供の頃、休暇を関西で過ごすことが多かったのですが、当時、商店街とは別に「市場(いちば)」と呼ばれる小売店の集まった建物というか一角が住宅地の中にありました。買い物カゴをぶら下げたおばちゃんたちが立ち話に興じていた場所です。何故か地元の東京ではあまり眼にしないものでした。ただ筆者の育った東京の西側は転勤族のなどが多く住む新興の住宅地でしたから、元をただせばほとんどが農地だったり野原だったのです。江戸城(皇居)よりも東側の古いエリアに行けば「市場(いちば)」があったのかもしれません。伊保駅の周囲を見て、ふとその様なことを思いました。

駅所在地が兵庫県高砂市伊保港町ですから、伊保港町という駅名もありだったのでは?

では、次回【私鉄に乗ろう93】山陽電車 その11 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)