大人の休日倶楽部パスで北海道に来てみました④
滝川には過去何度か宿泊して、昨日の留萌本線や、釧路まで8時間25分かけて308.4kmを走る2429D列車に乗ったりしたことがある。
JRに新十津川まで乗って、バスで滝川に来たこともある。本日はその逆。バスで新十津川まで行って1日に1本しか運転されない列車に乗る。
と言う理由で、7時半に滝川の中央バスターミナルに来た。
しかし、新十津川行きのバスまで20分ある。
隣の滝川駅に行って、工事中の様子を見た。
で、7:49のバスに乗った。通学の高校生がたくさん乗ってきた。
バスは石狩川を超える。
15分程で新十津川町役場に着く。雨が降り出して、嫌な感じ。
コンビニで朝食を仕入れて新十津川駅に向かう。
ポツンと駅舎がある。流石に8時過ぎなので人影はない。
1931年昭和6年開業。当時は石狩沼田からここまでが開業した。当初は中徳富という駅名だった。第二次世界大戦の激化で1943年に不要不急路線として石狩月形〜石狩追分間が営業休止。10年後の1953年に営業が再開された時に新十津川に改称された。
時刻表と言うのか。9時台に到着して、出発して、お終い。以前来た時は1日に3往復運行されていた。
ホーム側から駅舎を見る。
駅名標と名所案内。奈良県の十津川村から集団移住してきたので新十津川なのだね。駅番号が無い。
駅にトイレはないので駅前の寺子屋で借りた。タダでは悪いので500円のお酒を買ってお婆ちゃんと話をした。ちなみにシャワートイレ完備。
列車到着前にはタクシーで次々にカメラを持った人たちが集まって来た。9時20分には20人を越えた。
その頃近所の保育園の子供達がお迎えに現れた。
9:28、キハ40が1両でやってきた。
始発にして終電である。
しかもこの列車が満員。吊革に人がぶら下がっている!一旦、全員が下車した様だ。
駅舎周辺に人がいる、珍しい光景。
行先票。
40年以上前はここから石狩沼田まで線路が繋がっていた。
9:40、そろそろ出発の時間がせまる。列車は混んでいる。
子供達のお見送り。
キハ40 402の運転席。
最初の駅は下徳富。1934年開業。戦時中の営業休止、1943年から1953年までの10年間、住民の移動はどうしていたのだろうか。
やはり駅番号が無い。
南下徳富。1956年開業。コンクリートのホームに板張りのホームが継ぎ足されている。2012年までは踏切側の斜路横に木造の小さな駅舎があった。
駅名標。
於札内。ここもシンプルなコンクリートのホームに待合室。1959年開業。
駅番号無し。
鶴沼からお婆ちゃんが乗ってきた。9:11の下りで来て、9:59の上りに乗るのかな。
駅名標。1956年開業。還暦の駅だ。
浦臼。親子がホームに居たが列車を見に来ただけの様だ。この駅からは、石狩当別方面に1日6本の運行に増える。1934年に新十津川からここまで延伸開業した時に作られた駅だ。
駅舎にはふれあいステーション、歯科医院も併設されている。
札的。似た様なコンクリートのホーム。1960年開業。アイヌ語の「サッテキ・ナイ」(やせる川)から付けられた駅名。
駅名標。
線路脇に置いてあった。何だろう。
晩生内。40年前までは島式ホームで貨物のひきこみせんがあった。今は痕跡も無い。
この駅舎との間に線路があった。
駅名標。
札比内。アイヌ語の「サッ・ピ・ナイ」(乾いた石ころだらけの川)から付けられた駅名。
隣の於札内と同じく40年前までは島ホームだった。
駅舎との間に線路があった。
豊ヶ岡。牛山隆信氏の秘境駅では13位。住民の請願で1960年に開業したが、不動産データによれば駅を中心とした半径500円のmの住民は6人。
ポツンと離れて駅舎がある。しかし、周囲に灯りが無い。
駅名標。
石狩月形。島ホーム。
駅員さんがタブレットを受け取っていった。スタフ閉塞なのかな。
駅名標。
ここから電化区間になる北海道医療大学まで全ての駅を撮っているが、些か冗長なので、唯一、乗車客のあった本中小屋を紹介しておこう。老夫婦が乗ってきた。
ここの駅舎も貨車。
駅名標。
そして石狩金沢。ここから新十津川方面に向かって急激にローカル色が濃くなる。最初の非電化の駅だ。
駅舎は貨車。
駅名標。
10:57、77分乗って北海道医療大学に到着。
ここまで電化されているので架線がある。
この後は札幌に移動。旭川まで特急スーパーカムイ19号に乗って、さらに石北本線を上川まで行く。そして台風による不通区間を代行するバス便に乗って遠軽を目指す。
厳密には鉄道の記事では無いが、初めて乗る代行バス便についてもレポートします。