モハ11のアントとは反対側の走行シーン。行き先表示は「燕」。路面電車区間を走行するための床下の排障器に要注目

昭和初期の1933年に開業、1960年代半ばまで地域の移動手段として存在感を示したものの、マイカー普及で衰退。1999年4月に全線廃止された鉄道……それが新潟交通電車線です。

路線は県庁前(新潟市)~燕(燕市)36.1キロ(廃止時)。代表的車両3両が、今も廃止時の終点だった旧月潟駅で保存されます。

電車と電動貨車は、国鉄80系などの湘南電車と似たようなツートンカラーの外装色。地域の人たちは親しみ込めて「かぼちゃ電車」と呼びます。

屋外展示の車両は四半世紀を経て老朽化が進みましたが、新潟市によって2025年2~7月に修復され、ピカピカに生まれ変わって再登場しました。

保存会は2025年9月28日、「走れ!かぼちゃ電車2025」を旧月潟駅で開催。大勢のファンや市民が駅構内数十メートルを走るモハ11の乗り心地を味わいました。

モハ11車内。窓は上部固定のいわゆるバス窓タイプ。整理券発行機が設置される以外、いたってシンプルです

中ノ口川左岸に鉄道を!

新潟交通電車線の歴史を紐解きましょう。

新潟市には、信濃川と阿賀野川を代表に何本もの河川が流れます。

その一本が中ノ口川で、東側を流れる信濃川の分流。信濃川の東側には(国鉄)信越線がありますが、中ノ口川西岸には鉄道がなく、地域の要望を受けて1929年に中ノ口電気鉄道が設立。数回の社名変更や戦時統合を経て、1943年に新潟交通電車部になりました。

路線は広島電鉄や福井鉄道と同じ、鉄道と軌道の二刀流。県庁前~東関屋は道路を走る路面電車、東関屋~燕は一般鉄道でした。

新潟交通線は県庁前から信濃川を渡って新潟駅に軌道で延伸するプランもありましたが、マイカー普及で消滅。1992年の軌道線廃止に続き、1999年に鉄道線も使命を終えて廃止されました。

新潟交通線ヒストリーでチェックしたいのが1964年6月の新潟地震。鉄道は1ヵ月、軌道は半年間の運休を強いられ、輸送量に陰りがみられるようになりました。

「廃止決まって乗客が増えた!?」(27年前の筆者コラムから)

『7時35分発の東関屋行き、数人の乗客を乗せた2両編成の電車は始発の月潟を発車した。乗車したのは小田急から譲受したリサイクル車(2220形)だ。

白根市、黒埼町(いずれも現在は新潟市に編入)と、新潟市に近付くにつれて車内は混みあってきた。「混んできたね。それにしても廃止が決まって、乗客が増えてきたんじゃないかな」。常連らしい通勤客の会話が耳に飛び込んできた……。』

この文章は筆者が廃止前年の1998年末に書いた「地域交通特集」の再録です。当時、常駐記者のいなかった交通新聞新潟支局に月一で出張していました。乗客の会話は偶然。今も鮮明に覚えています。

電車、電動貨車、雪かき車

新潟交通線で幸いだったのは、熱心なファンの存在です。旧月潟村(こちらも現在は新潟市南区です)がファンに呼びかけ、廃止翌年の2000年に保存会が発足。メンバーはボランティアで活動に取り組みます。

保存車両は3両。モハ11は開業時の新製でメーカーは日車。1966年に車体を新調して載せ換えました。廃線時まで活躍しました。

電動貨車のモワ51も開業時新製で、沿線産の米、野菜、果物などを輸送しました。1982年の貨物廃止後は、後述の雪かき車を押す役目を受け持ちました。

雪かき車のキ116は国鉄からの譲受車。正面の大きなスノープラウがシンボル。モワ51が推進運転できるよう、運転機器類が改造されました。

電動貨車・モワ51。全長11メートルの超小型。モハ11と違い車体更新を受けていないので、ほぼ登場時のままです
モワ51車内。左上に「宅急便有」の表示。電車で荷物を運ぶ「電車モーダルシフト」のルーツここにあり?
雪かき車のキ116。車両区分は貨車で戦前の車両らしく車体のリベットが目立ちます

JR東日本のグループ企業がアドバイス

今年の大きな動きは、なんといっても保存車両の修復。新潟市は四半世紀を経て老朽化した車両の修復工事を行い、7月に見学を再開しました。

全面修復では、最初にアントと呼ばれる車両移動機で保存車両を広いスペースに引き出しました。パンタグラフ、ドア、座席は取り外して補修したり、場合によっては新製しました。穴のあいた外板は鉄板で補修、屋根は防水加工を施しました。

なぜ、そこまでできたのか? ヒントは新潟の地にあります。鉄道のまち・新潟、総合車両製作所新津事業所に生まれ変わった国鉄新津工場、JR東日本新津車両所を中核に多くのJR東日本グループ企業が立地します。工事の主体は新潟市ですが、実際の工事はJR東日本テクノロジーが手がけました。

「長く続けて」(ベテランファン)

イベントではきっぷ購入客が電車に乗車。往復数十メートル、自走でなくアントけん引(推進)ですが、走行体験を楽しみました。

熱心に撮影していたベテランに話を聞きました。新潟市在住の70歳代。現役時代の乗車経験はないそうですが、保存鉄道になって今回が3回目の来訪。「(電車が)きれいになっていてびっくり。これからも長く続けてほしいですね」

同行者は奥様で、お目当ては電車でなく同時開催の「月潟大道芸フェスティバル」。迎えて27回目というおなじみの催しで、パフォーマーのほか露店が並びます

鉄道イベントだとファンしか来ない。他の催しと組み合わせれば、家族や友だちと来場してもらえます。

かぼちゃ電車で地域振興

最後にかぼちゃ電車保存会をご案内。メンバーおよそ40人で、地元中心ながら東京から駆け付けたファンもいます。

会長は平田翼さん(33)。栃木県出身で、新潟大学では鉄道研究部に入部。かぼちゃ電車の保存活動に携わるうち、実行力を買われ「おそらく5代目」(本人談)の会長に就きました。

カボチャ電車保存会の平田会長。「実走するので、特にエア関係は入念に修復しました」と鉄道のプロらしいセリフも

平田さんとのお話で感心させられたこと。単純な鉄道愛でなく、保存車両を活用したまちづくりや地域振興に乗り出した点です。現在は月潟に移住、「月潟企画」というまちづくりスタートアップを起業しました。

今回のようなイベントや鉄道グッズの商品化は多くの人が思い付きますが、ほかにテレビや映画のロケ誘致、親子体験講座、まち歩き観光などを打ち出します。

廃止から26年、全面修復で再スタートを切ったかぼちゃ電車。平田さんや保存会という強力な応援団を得て、新潟交通線はある意味で非常に幸せな鉄道だと感じました。

大道芸フェスで思わずカメラに収めたワンシーン。長く続けたミュージシャンを引退。愛機のギターやベースを500円からの超破格値で販売していました

記事:上里夏生
(写真は全て筆者撮影)