25パーミルを下って【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線 その15

2020.01.19

駅名標。震災前、JR山田線時代の駅名標です。

故井上ひさし氏の小説「吉里吉里人」は、筑摩書房が1973年(昭和48年)から刊行した雑誌「終末から」に連載されましたが、小説の途中で雑誌は廃刊になってしまいました。改めて1978年(昭和53年)から「小説新潮」に連載され1981年(昭和56年)に単行本が刊行されました。雑誌「終末から」を毎号読んでいたので連載の「吉里吉里人」が宙に浮いたままになった時はビックリしました。読み始めてから8年目に書籍になった時は速攻で読みました。今読んでも面白い小説です。

日本政府に愛想を尽かした東北の寒村が「吉里吉里国」として独立する物語。何と原型は東京オリンピックの1964年(昭和39年)に井上ひさし氏がNHKラジオ小劇場に書いた脚本「吉里吉里独立す」です。東京オリンピックの愛国的情緒が蔓延する中、不評だったそうです。イヤな話です。

矢作俊彦さんの傑作小説『あ・じゃ・ぱん』(1997/新潮社)、戦後日本を東西に分断された国家として描く物語とある種双璧を成す快作だと思います。吉里吉里の駅名標はそーいう意味ですごく思い入れがあります。

現在の駅名標。JR山田線時代と背後の木が同じ雰囲気です。1938年(昭和13年)開業。2011年の震災で営業休止。2012年(平成24年)木造駅舎解体。2019年3月三陸鉄道に移管され再開。愛称「鳴き砂の浜」は吉里吉里海岸の砂が吉里吉里と鳴くということからでしょうか。

新しい駅舎とホーム。

高台の吉里吉里駅から25パーミルを下ってゆきます。

先で左にカーブします。

海が広がりました。

浪板海岸駅です。浪板川橋梁を渡ります。

ホームもカーブしています。吉里吉里駅から1.8kmと近いです。それなのに次の岩手船越駅までは6.4kmあるんですよ。

路盤も線路もホームも待合室も新しくなっています。周囲の建物は震災前とあまり変化していないのですが。勾配標は上り6.9パーミル。

駅名標。1961年(昭和36年)国鉄山田線の浪板駅として開業しています。1994年(平成6年)浪板海岸駅に改称。東日本大震災で駅は営業休止。2019年3月三陸鉄道リアス線の駅として再開。愛称の「片寄せ波」は浪板海岸が震災前は「寄せる波はあっても返す波のない世界でも珍しい海岸」でサーファーが多く集まったことからの様です。震災後は砂浜が消失。海岸砂浜再生のページがありました。

浪板海岸駅周辺には民宿などが他の地域よりも多くある様です。浪板海岸の砂浜が再生しないと海水浴もできないので地元には死活問題ですね。

では、【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その16 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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