トップ画像、以前のSONY Cyber-shot DSC-WX500の時は明らかに横からの太陽光でノイズが出ましたが、WX800に替わってからノイズが出なくなったのが朗報です。反射の写り込みはカメラではどうにもなりませんが。

小田急小田原線もこの辺りまで来ると沿線には圧倒的に住宅が並んでいます。

平坦な土地でかつては長閑な農村だったことをうかがわせます。

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読売ランド前駅から1.3kmで生田駅。踏切手前に川崎市生田歩道橋があります。これが小田急線から左(北)は県道3号線津久井道を越えていて長いのです。

相対式ホーム2面2線と跨線橋という定番の駅です。跨線橋はホーム中程でしょうか。1983年(昭和58年)現在の橋上駅舎と自由通路が完成しています。

下りホーム、奥は新宿方面になります。

跨線橋の下辺りから同じ方向ですが上り列車が停まっています。各駅停車新宿行。

同じ場所から反対の小田原方面。跨線橋のエレベーターがあります。

駅名標。駅名は、生田村という今は存在しない村の中で駅の設置場所を巡る対立があったことから読売ランド前駅が当初は西生田駅、そしてこの駅は東生田駅だった歴史があります。

小田急線が開業されると決まって、当初駅は東西に延びた生田村の村役場近くに作る計画で用地買収もされました。しかし村の西側の有力者が中心となって村会では西側に駅を誘致するという意見が多数派になりました。これが最初の西生田駅(現・読売ランド前駅)です。しかし、東側の村民が猛反発して駅を西側に作るなら土地の買収に応じないと言い出します。これでは鉄道建設にも支障がでるため東生田駅(現・生田駅)も作られることになったのです。

駅名は、1964年(昭和39年)西生田駅がよみうりランドの開業にともなって読売ランド前駅に改称されたのことで、東生田駅も生田駅に改称されました。

新しく鉄道が敷かれるということが時代の最先端、明るい未来という希望だったのでしょう。小田急小田原線で言えば昭和初頭ですが、当時の沿線住民の意識は駅の誘致で盛り上がっていたのですね。来年2020年に開業する山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」の話題がメディアを賑わせていますが、筆者の友人はこの駅を見越して20年くらい前に新駅至近にマンションを購入しています。スゴイ値上がりだそうです。なかなか息の長い投資ですね。

余談はこれくらいにします。橋上駅舎の出口です。正面にはセブンイレブン。

自由通路に立って改札口の外からのカット。

自由通路の北側出入口です。

生田駅の出入口は北も南も細い道に面しています。駅出入口から少し離れてもこんな具合です。

北側には県道3号線津久井道が通っていて、多くの店舗が並んでいます。

反対側、南の出入口です。すぐ左側の”PEACE”と表示のある細長いビルがユニークですね。上は美容室の様です。

北口の南側には水路があって、その向こうは緑の崖になっています。この眺めにもちょっと驚きました。

生田駅の南側には、明治大学生田キャンパスがあります。専修大学や聖マリアンナ医科大学などもあって、南口の写真を撮っている間も学生さんたちが大勢駅に出入りしていました。現在の明治大学の場所に、戦前は原爆や生物・化学化学を研究する旧帝国陸軍登戸研究所がありました。平和に友人たちと笑いながら歩く学生さんを観ながら歴史の不思議さを思いました。

【駅ぶら01】小田急江ノ島線30 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)