プロローグ~国鉄の敷地が仮設劇場に~

物語の始まりは36年前の1985年、2年前の1983年に東京でミュージカル『キャッツ』のロングラン公演を成功させた劇団四季は、次の公演地に大阪を考えていました。しかし、同じ劇場でのロングラン公演という文化のなかった当時の日本では、既設劇場の継続利用は難しい。そんな時に力を貸したのが国鉄でした。

テントスタイルの仮設劇場が造られたのは、国鉄大阪駅北側の西梅田コンテナヤード跡地。当時の国鉄貨物は、輸送量が減少傾向をたどっており、今は高層ビル群に建て変わった西梅田に巨大な空地が発生していました。国鉄内には一部反対もあったと聞きますが、大阪鉄道管理局の幹部が部内を説得。大阪の「キャッツ・シアター」は、最終的に東京公演を抜く13ヵ月のロングラン公演を実現して、民営化を目前にした国鉄関係者に芸術の持つ力を認識させました。

第1幕~JR札幌駅構内に専用劇場オープン~

時は流れて1993年9月、JRと劇団四季の物語の舞台は北の大地に飛びます。初めての劇団四季の専用劇場、「JRシアター」がオープンしたのはJR札幌駅構内。客席数は約1000席でした。

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当時、私は交通新聞社の札幌の支局に勤務。「舞台芸術家にとってロングラン公演は夢のまた夢だが、一つの劇場に同じ演目を長期間掛ける習慣のない日本では、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイやイギリス・ロンドンのような長期公演は不可能と考えられていた。その点、JRシアターの試みはきわめて先駆的・画期的なものといえる」のコメントを、東京のデスクに送信したことを覚えています。

JRシアターが建設されたのは札幌駅南口と、当時のJR北海道本社(現在は桑園に移転)に挟まれたエリア。将来的に駅を再開発する構想がありましたが、計画が始動するまでの間、空地を劇場として有効活用することにしました。

JRシアターはJR北海道と劇団四季のほか、地元の新聞社と放送局が共同運営。当初の期限とされた1996年8月までに、こけら落としの『オペラ座の怪人』を皮切りに、キリスト最後の7日間をモチーフにした『ジーザス・クライスト=スーパースター』、名画をミュージカル化した『イリヤ・ダーリン 日曜はダメよ!』など、劇団四季の14本のミュージカルや舞台劇を上演。途中のJRシアターフェスティバルでは、脚本家・倉本聰さんが主宰する富良野塾などの公演も行われ、北海道にミュージカル・劇場文化を根付かせました。

1997年4月から3年間の延長期間に入ったJRシアターは札幌凱旋公演になる『キャッツ』に続き、『美女と野獣』などのミュージカルを上演。1999年に延べ123万人動員の記録を残して幕を閉じました。

スピンオフ

ここで中休みをいただいて、JRシアター前夜の話題。国鉄・JR用地でのミュージカル上演には、企業対企業という以上に芸術文化に理解を示す国鉄・JR幹部の力が大きかったわけですが、現在は立場が変わられた方も多いので、本稿で個人名を挙げるのは控えさせていただきました。

そんな中でも、一つだけ紹介したいのがJR西日本とJR北海道にあった「JR応援団の集い」。東京に本社を置いて全国一本だった国鉄に比べ、JR西日本やJR北海道の考え方はどうしても東京で伝わりにくいと考えた両社幹部が、作詞家の故阿久悠さん、東京大学教授の坂村健さん(当時)ら有識者をメンバーに結成した、現代風にいえばアドバイザリーボードです。

私は大阪の西日本支社で金沢での会合、札幌の支局では北見での集いなどを取材しましたが、数多くの有益な意見はJRシアターなどとして実現。両社を地域一番の企業に育てる原動力になったようです。