※2022年6月撮影

トップ画像は、宗吾参道駅西側出入口の先にある酒々井町の案内「義民佐倉宗吾様と宗吾霊堂」。

内容を要約します。

義民佐倉宗吾は、本名木内惣五郎、慶長17年(1612年)下総国印旛郡公津村台方(現・成田市台方)で生まれ育つ。割本名主であった惣五郎は、凶作と重税に苦しむ領民を救うために佐倉藩に嘆願したが受け入れられず。死を覚悟し、幕府四代将軍家綱に直訴。これにより領民の窮状は救われたが、直訴は死罪。4人の子供とともに承応2年(1653年)42歳の惣五郎は処刑。後に失政を悔いた佐倉藩は法号「宗吾道閑居士」をおくり手篤く冥福を祈った。義民佐倉宗吾の名は広く知られる様になった。

補足します。「割本」は複数の村の名主を差配した総代のこと。

実は、義民佐倉宗吾の具体的な史料は乏しく、将軍家綱に直訴したという記録も無い様です。

実態は、主に江戸時代中期以降に流行した講談・歌舞伎『佐倉義民伝』などの人気によって「義民宗吾」というヒーローが誕生。民衆に広く愛されたのだと思われます。

※成田市立図書館「紙ふうせん50号 市民講座「佐倉惣五郎と宗吾信仰」」参照

余談ですが、筆者の愛読する『虫の宇宙誌』の著者奥本大三郎先生の文学講座も載っています。

成田市による「義民ロード案内図」

※2022年6月撮影

宗吾参道駅は印旛郡酒々井町にありますが、宗吾霊堂(東勝寺)は成田市内なのです。筆者は宗吾霊堂(1.0km)まで歩くことにします。

宗吾参道駅の西側出入口。手前右側に上記の案内板があります。

※2022年6月撮影

駅北側の公道踏切に行くと、偶然ですがまたAE形スカイライナー車両が上りホームの待避線に入線していました。

※2022年6月撮影

スカイライナーの左に側線があります。

※2022年6月撮影

踏切から宗吾霊堂に向かう参道を見ています。大きな石灯籠があります。

※2022年6月撮影

では次回、長い坂道を上ってゆきます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。