「ローカル線こそ未来の文化パラダイス」JR東日本が鉄道開業150年で記念セミナー【コラム】
「ゲートウェイシティを社会課題解決の実験場に」(喜勢JR東日本副社長)
JR東日本の喜勢副社長は、品川開発の責任者。同社が次の10年で目指すのは、「リアルな鉄道ネットワークと、交流拠点になる駅を活かし、外部の技術・知見を組み合わせてサービスを創造する企業」です。
現代社会には、少子高齢化や人口減少への対応、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)をはじめとする新規技術の導入など、解決を迫られる難題が溢れています。それらの解決策を、ゲートウェイシティから発信するのがJR東日本の企業姿勢です。喜勢副社長は、「高輪ゲートウェイシティを社会課題解決の実験場に」と話しました。
お雇い外国人は明治時代の〝助っ人〟
鉄道150年の歩みを検証した有識者お2人の基調講演にも、ワンポイントずつ触れましょう。
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明治初期の鉄道黎明期・日本の鉄道整備に貢献したのがお雇い外国人。森地教授によると、1868年から1890年までに来日した外国人土木・建築技術者167人のうち約3分の1の59人が鉄道分野の技術者だそう。鉄道は測量(31人)、通信・鉱山(各14人)などを抜いてトップで、明治政府がインフラ整備で、鉄道をいかに重視していたかがうかがえます。
お雇い外国人で政府が苦労したのは、現代の貨幣価値に直せば月額1500万円という高額な報酬。日本滞在は最長でも3年間程度に限られました。私が思うに、お雇い外国人は現代でいえば、プロ野球やサッカーJリーグの外国人助っ人選手だったのかも。
私鉄や地下鉄のネットワーク整備が東京都心の街づくりを分散化
もう一人の基調講演者の岸井所長は、交通工学や都市計画が専門。戦前の東京は、東京駅を中心とする大丸有(大手町・丸の内・有楽町)の一極集中でしたが戦後、私鉄や地下鉄のネットワーク整備に連動して、新宿、渋谷、池袋へと東京都心は広がりをみせました。
渋谷は1965年のNHK移転(転入)、新宿は同年の淀橋浄水場移転、池袋は一足遅れた1978年のサンシャイン60竣工が、地域再開発にインパクトを与えました。
東京で、今後の発展が期待されるのが品川エリア。JR東海のリニア中央新幹線、JR東日本の高輪ゲートウェイシティ、そして先日、正式決定した東京メトロ南北線の品川延伸と、ここでも鉄道が地域開発の推進機能を受け持ちます。
「国鉄三江線のレールに、見知らぬ地への思いはせる」(斉藤国交相)
最後に、斉藤国交相の来賓あいさつを短くご紹介します。趣味の欄に「鉄道」と書くほどの斉藤大臣は、島根県邑南町の出身。2018年までJR三江線が通っていました。
「子どものころ、駅で線路を見て『この線路が遠くにつながっている』と思いをはせた」と思い出を披露しました。「遠くにつながる線路」――それが150年前も今も変わらない鉄道の魅力なのかもしれません。
JR東日本と運輸総研の鉄道開業150年記念セミナーの紹介は以上。鉄道の歩みでは書き漏らしたこぼれ話も多数あるので、機会をいただき続編の形でご紹介できればと思います。
記事:上里夏生