※2023年3月撮影

トップ画像は、曳舟川通りが東武線の下を通っている通路壁面に掲出されていた絵。黒いスカイツリーがなかなか強烈な印象です。

絵の飾られていた東武線の鉄橋下を振りかえって見ています。右の居酒屋「一心太助」は魚が美味しそうな・・・店名。(笑)

※2023年3月撮影

高木神社入口の信号。スカイツリーも左に見えています。

※2023年3月撮影

「高木神社 令和5年 御鎮座五五五年」の幟がたくさんあります。

※2023年3月撮影

高木神社。鳥居に「応仁2年(1468年)創祀」と掲示されています。正に京都で「応仁の乱」が始まった頃に祀らた神社です。「応仁の乱」を初めて教科書の言葉というよりも「リアルな出来事」と感じました。

※2023年3月撮影

高木神社社殿。

※2023年3月撮影

手水、龍の頭に兎(今年の干支)がのっています。(笑)

※2023年3月撮影

墨田区観光協会には「社伝によると、応仁2年(1468)創建と伝えています。祭神は高皇産霊神で、古くは第六天社と呼ばれてましたが、明治初期に高木神社と改称したといいます。乱石積みの上に安置されている「弘化二年」銘狛犬は左右同形で阿・吽の区別がありません。左側の狛犬の銘文から、外神田平永町代地の白鼠屋藤七等が奉献したことがわかります。」

※2023年3月撮影

境内にあった「山玉向島講社の碑」。

※2023年3月撮影

脇に掲示されていた墨田区教育委員会の案内板の内容概略です。

山玉向島講社はかつてこの地域にあった富士講。江戸時代後期成立の山玉深川元講から分離したと考えられます。沿革は不明ですが明治7年(1874)の祭祀具が伝わっています。大正期には講員が100名以上と推定されます。本碑は、明治31年(1898)9月に建立されたものです。碑の正面に「廿参夜」と刻まれているのは講社の人々が参会する日を示すと考えられています。山玉向島講社は、第二次世界大戦中に活動を停止したと考えられその活動を知ることは難しくなっています。この碑は近代の墨田区における信仰と地域の結びつきを理解するために欠くことのできない文化財です。

高木神社を後に、鳩の街に向かって北に歩いています。

※2023年3月撮影

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料:『京成電鉄85年の歩み』(1996年/総務部編)『京成電鉄100年の歩み』(2009年/経営統括部編)他