かつての貨物線をアクセス線に転用

大汐線とは……。今は汐留シオサイトになった、JR新橋駅南東側一帯が国鉄時代、汐留駅という貨物駅だったことは、ベテラン鉄道ファンの皆さんはご記憶かもしれません。

汐留駅と大井ふ頭の東タを結んでいた貨物線が大汐線。汐留と大井ふ頭の頭文字を合わせた通称です。1970年代初頭まで、東海道線からの汐留行き貨物ルートだった新鶴見~品川~汐留の品鶴(ひんかく)線の旅客線転用に当たり(品鶴線は現在、横須賀線や湘南新宿ラインの列車が走ります)、大井ふ頭~田町間約4キロをつなぐ鉄道新線として建設され、1973年に開業しました。

大汐線は、都心を走る貨物列車の減少などを受けて1998年に休止されました。建設時期が比較的新しかったことから、多くの区間は複線で全線電化。旅客線への転用に大きな支障はありません。

新幹線の地下をトンネルでくぐる

東京、新橋駅側からアクセス線をバーチャルでたどります。新橋駅を発車した列車がアクセス線に入る、つまりアクセス線の起点は田町駅北側(浜松町寄り)に設けられます。

浜松町~田町間には北西側(山手線内側)から、京浜東北線北行、山手線内回り、同外回り、京浜東北線南行、東海道線上り、同下りの6本の線路が並びます(東海道線の南東側には東海道新幹線も並行します)。

アクセス線の起点は、田町駅北側(東京寄り)の引き込み線を撤去した上で、山手線外回り、京浜東北線南行、東海道線上り線を順次移設。東海道線の上下線の間隔を広げ、真ん中にアクセス線の線路を敷きます。アクセス線はY型分岐器で東海道線の上下線それぞれとつながります。

東海道線と分かれたアクセス線は、地下に入って東海道線下りと新幹線上下線をトンネルでくぐり抜け、高輪ゲートウェイ駅東側付近で大汐線に合流します。

田町駅付近のアクセス線起点から大汐線合流部までの東海道線接続部は、延長1.5キロで単線。トンネルは、新幹線の地下部がシールド工法、両端部は地上から掘削する開削工法で建設します。JR東日本の資料から、配線図と空撮写真を添付します。

羽田空港アクセス線起点部の配線図。東海道線から大汐線への接続線は短絡線と表記します(資料:JR東日本)
国土地理院の空撮写真に加筆した羽田空港アクセス線のルート。東海道新幹線下のトンネルを抜けるとカーブ、新幹線と東京モノレールの間を走ります(断面図は前出の配線図とほぼ同じなので割愛します(画像:JR東日本)

東タ内に留置線と保守基地

トンネルを抜けたアクセス線が合流するのが大汐線。東タまで3.4キロ区間の大半は高架構造。1998年の休止で、電車線(架線)や信号ケーブルはほとんど撤去されましたが、線路、架線柱、橋りょうなどの設備は残されています。JR東日本は設備の健全度をチェックした上で、アクセス線に転用します。

東タ内も大汐線を改良してアクセス線に転用。東タに、留置線や保守基地を設けるプランです。東タ近隣には大汐線の踏切2ヵ所がありますが、1カ所は廃止。もう1カ所は交差道路を高架化して踏切をなくします。

東タからの空港まで、5.0キロのアクセス新線区間は再び地下にもぐります。トンネルはシールド工法で、主に道路や運河の下部に建設しますが、道路橋脚や建物の基礎を避けながらのトンネル掘削になります。

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