※2025年11月撮影

トップ画像は、流山市下花輪739の神明宮石段。

晴天ですが鬱蒼と樹木が茂っていて、神明宮は「昼なお暗い」という言葉通りでした。ネット上には「境内が暗くて怖いので一人では行けない」と書いている方がいました。

石段を上がると境内はさらに暗く、確かに些か不気味です。一の鳥居の手前、右に庚申塔が列んでいます。

※2025年11月撮影

一か所、太陽が当たっているのでコントラストが強過ぎます。

※2025年11月撮影

「流山100か所めぐり㊳神明宮」がありました。

※2025年11月撮影

内容は「創建は不詳。江戸時代の石造物がある下花輪(しもはなわ)の神明神社。祭神は大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)。境内には、板碑型十九夜塔、庚申塔などの石造物がある。」

大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)は、一般的には伊勢神宮に祀られている「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」女神様です。

しかし、太陽の神様の神社が、昼なお暗いのは、不思議。

8基の石塔、全て庚申塔かな・・・。

※2025年11月撮影

左端は、庚申と刻まれているので庚申塔です。

※2025年11月撮影

高さは118cm。上部に日と月。右面に天保十年とあるので、1839年。土台の石には「三拾 三人 講中」と読めます。

その右も庚申と彫られています。上部に日と月。下部に三猿。右面には嘉永五年とあり、1852年です。

不明の石塔を挟んで一番右に青面金剛像の彫られている庚申塔。上部には種子ウーンと日・月。元禄十一年の紀年銘があるので1698年。327年前です。

さらに右の4基。

※2025年11月撮影

左端は、貞享四年、1687年の庚申塔。高さ163cm。

その右は「流山100か所めぐり㊳神明宮」に「板碑型十九夜塔」と書かれていたものと思われます。しかし三猿が刻まれていて流山市立博物館の『流山庚申塔探訪』でも「庚申塔ではないが庚申信仰の要素がある石造物」に分類されています。(No.341)

その右、一番小さな(高さ98cm)の庚申と文字の刻まれた塔。右面に文政四年、1821年です。

右端の太陽が当たって三猿が見えないのは、青面金剛という文字が刻まれた庚申塔。高さは115cm。文政十年の紀年銘なので1827年。

薄暗い境内ですが庚申塔が傷まない為には、良いのかもしれません。7基の庚申塔がありました。

※2025年11月撮影

この一の鳥居、流山市立博物館の『流山庚申塔探訪』に「鳥居だが庚申信仰の願文があるので、庚申塔の範疇に入れた」と出ています。No.57。享保五年、1720年と300年以上前に造立された鳥居です。

柱に「奉供養庚申講一結願衆等現当二世各願成就【以下略】」と刻まれています。鳥居は、300年以上、ここに立っているのですね。

※2025年11月撮影

前回の最後に、この神社、不思議な気を感じたと書きました。正確には、気を「感じなかった」のです。

あくまでも個人的感覚ですが、ふと気がつくと「生の気(生き物の気配)」を感じなくなっていたのです。

でも、嫌な気配は無く、怖くもありませんでした。

鳥の声が聞こえず、虫たちの気配が不意になくなったのが不思議でした。

境内(神域)は、森閑と静まりかえっています。

まぁ、長居は無用かもしれないと思いました。

「駒形宮」「薬師如来」などと彫られた石祠が置かれていました。

※2025年11月撮影

こちらの石塔には、仏教(密教)由来の種子が刻まれています。

※2025年11月撮影

天照大御神に久しぶりにご挨拶しました。

※2025年11月撮影

理由は分かりませんが、この後「生の気」が急に境内に戻ってきました。感覚的に言えば気温が急に2〜3℃上がった感じです。

※2025年11月撮影

鳥たちの声を聞きながら石段を下りました。

何だか妙にスッキリして、心身共に浄化された感じです。

足下を見たら馬頭観音がありました。

かろうじて明治という文字が読めます。

※2025年11月撮影

下花輪神明宮、清浄な気に満ちていました。

次の庚申塔を目指します。

(写真・文/住田至朗)

※参照資料
首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024
るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日
つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日
つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日
つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

流山市の庚申塔については 流山市立博物館調査研究報告書『流山庚申塔探訪』流山市教育委員会発行を参照しています

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