本巣を出発。左奥の方に住友大阪セメント岐阜工場が見えています。かつては専用線が敷かれていましたが、2006年(平成18年)に廃止されてしまいました。右にはSL時代の給水塔が残っています。

織部駅。樽見鉄道はこの駅から先、山間部にある根尾川の渓谷を縫って走ります。2002年(平成14年)に開業した道の駅「綾部の里もとす」と同時に作られた新しい駅で日本初の鉄道駅併設の道の駅でした。駅の奥、右に見えているのが道の駅です。

駅名標の横に古田織部の里とありました。茶人の古田織部(重成)がお殿様だとは知っていましたが、ここがその領地とはちょっと驚きました。織部は利休以後、天下の茶人として名を知られました。利休の好んだ静謐に対し「織部好み」という破調の美で一世を風靡したのです。本阿弥光悦は織部の弟子でした。関ヶ原では東軍に従いましたが豊臣家が滅亡した後、徳川幕府はその茶人としての高名と反骨精神を怖れたために切腹を命じられ、古田家は断絶しました。しかし織部の名前は500年経った今も色褪せていません。

さて樽見鉄道はここから山間部を縫って走ります。トンネルを幾つもくぐります。

木知原駅。1958年(昭和33年)開業。

駅名標。所在地名ですが「こちぼら」は少し難読ですね。

第一根尾川橋梁(210.0m)を渡ります。手前の1〜5連はガーター橋。

5〜6連は1910年(明治43年)にアメリカ合衆国で製造されたトラス橋で、かつては木曽川に架けられていた東海道本線木曽川橋梁を再利用したもの。

何故か6連の塗装が剥げていました。

谷汲口駅。旧国鉄の樽見線は1956年(昭和31年)にこの駅まで開業しました。1958年(昭和33年)に美濃神海まで延伸開業されるまで終着駅でした。手前の少し高くなっている部分が新しいホームでこちらに列車は停まります。

無人駅ですが駅舎がありました。

旧国鉄時代に作られた第二根尾川橋梁を渡ると神海(こうみ)駅です。島式ホーム1面2線で、この先樽見駅まで列車交換可能な駅も信号場もありません。

旧国鉄時代の1958年(昭和33年)に美濃神海駅として谷汲口駅から延伸開業し1989年まで(平成元年)30年間終着駅でした。

第三根尾川橋梁を渡ります。デッキガーター橋です。

高科駅。樽見鉄道が樽見まで延伸開業した時に地元の要望で作られました。

駅舎はありませんがログハウス風の待合室がありました。

駅名標。駅周囲はほとんど農地で集落は見えません。

ここから橋梁をたくさん渡ります。それでは【私鉄に乗ろう 09】樽見鉄道 その4 鍋原駅〜高尾駅 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)