沖縄を走った鉄道の残照_パイプライン通りの線路跡
沖縄県浦添市大平。県道251号那覇宜野湾線の歩道脇にひっそりとあるのが「油線・軍用地協会杭」と「軽便鉄道線路」。
現場は県道251号、通称「パイプライン通り」の県立大平特別支援学校付近。2メートルほどの線路と、コンクリート製の杭の説明板には、こう記されている。
――――ここ、パイプライン通りは、1992年(大正11年)から1945年(昭和20年)まで軽便鉄道が走っていました。軽便鉄道とは、本土の国鉄より規格が小さい(レール幅:国鉄は1067ミリ、軽便は762ミリ)ものを言い、沖縄の人々は「ケービン」と呼んで親しんでいました。
沖縄に鉄道が導入されたのは1914年(大正3年)のことです。那覇~与那原線が運行を開始し、浦添では1922年(大正11年)那覇~嘉手納線の運行に伴い、軽便鉄道が走るようになりました。
コースは、那覇駅(現在のバスターミナル)を起点に古波蔵・与儀・安里・内間・城間・牧港を経て嘉手納に至る23.6kmです。片道93分を要し、所要時間をスピードになおすと、おおよそ15km/hの速さになります。
駅は内間・城間・牧港の3ヶ所にあり、そのうち内間と牧港は無人駅で、駅舎は3坪・2坪の小さい駅でした。城間駅は駅長1人・駅員2人の有人駅で、駅舎も17.7坪あり、浦添では大きな方でした。
沿線住民の足となり、また農家のさとうきび搬入等を担った軽便鉄道も、沖縄戦で損壊してしまい、昭和20年3月末に、運行が廃止されました――――
ここに保存・展示されている線路は、「街路2-3-3号城間線改良工事(1991年10月)現場から出土したレールに、枕木を復元したもの」とも。
「油線・軍用地協会杭」と「軽便鉄道線路」の現場へは、那覇空港から北西へ10キロ、クルマで20分。