JR九州とNTTドコモは「列車の窓」を新たな情報表示プラットフォームとして活用する新体感の列車内観光サービスの実現に向けた協業協定を、2019年1月25日(金) に締結しました。

この協定によって、風景に合わせた観光情報をAR技術などにより車窓へリアルタイムに表示し、タッチや声などの操作で必要な情報をインタラクティブに提供することが可能となります。利用者の鉄道旅行満足度を向上させるサービスの創出が目標。

両社は、最新技術の活用を視野に、2020年のサービス実用化を目標とした継続的な取り組みを行います。この取り組みには技術面の共同検討パートナーとして、ゼンリンデータコムが参画しています。

要は、列車の窓を情報パネルにして、インタラクティブに情報を提供する仕組み。これは確かに実現したらスゴク便利です。列車の窓がスマホの代わりになってくれるのです。

このプロモーションをご覧になれば一目瞭然です。

しかし、古典SF的なテーマですが、我々が「その場に居ること」の”リアリティー”はどうなるのでしょうか。鉄道旅の喜びの大部分がこの「その場に居ること」の”リアリティー”ではないでしょうか?

例えば、天候や時間帯で有名な車窓を観ることができない場合に

この様に「理想の車窓」を映し出すことはサービスとして成立するでしょう。しかし、冷静に考えれば、この場合は「その場に居ること」の意味は失われています。観ているのは「ある時点で記録(合成)された映像」であって、「その場=一回性の不可逆的な時間」という「旅のリアリティー」とは無関係のモノです。

以下は個人的な見解ですが。

同じ映像を自宅のスクリーンで観ても「リアリティー」の質は同等ということになります。つまり「列車に乗ってソコに居ること」が無意味になってしまうのです。絵はがきを見るのなら、自宅でも良いワケです。

コレを回避するには、例えば天候不順で景色が見えない場合、見えない風景の上に、天気が良ければ見える景色を半透明で合成することでしょうか。

やはり、列車の車窓が偶然によって左右されてしまうこともまた、旅の喜びである様な気がします。だから、また次の機会を楽しみにできるのです。

技術革新によって様々なサービスが提案され、より便利に快適になることに異存はありません。しかし、今のところ、我々の人生が時間の不可逆的一回性の上にしかない点は回避できないのです。これが我々の幸/不幸を司るかけがえのない一瞬を約束してくれる以上、どんなに便利で快適になっても、鉄道旅は「その場に居ること」の一回性を楽しむプロセスだと思います。