石橋山の戦いで大敗を喫した源頼朝が、決死の思いで真鶴(神奈川)から房総半島(千葉)へ小舟で逃亡し、打倒平家へむけて房総の豪族を味方につけていく―――。

1100年代後半、平安時代末期から、鎌倉時代を築いた源頼朝(大泉洋)の半生を、坂東武士団(関東勢)の北条義時(小栗旬)視点で描く、三谷幸喜脚本「予測不能エンターテインメント」―――NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

あす2月27日にオンエアされる第8話は、「いざ、鎌倉」。

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房総の実力者、上総国の上総広常(佐藤浩市)、下総国の千葉常胤を味方に加え、房総半島を制圧した源頼朝は、父・源義朝が治めた鎌倉をめざし兵をすすめ、次なる地・武蔵国(東京・埼玉)へと入っていく……。

そこでいま、JR時刻表の路線図をみると、上総広常が治めた上総国の名がつく千葉の駅は、上総一ノ宮・上総牛久・上総亀山・上総中野駅などがある。

また千葉常胤(岡本信人)が治めた下総国には、下総神崎・下総中山・下総松崎などがある。

画像は、上総広常も信仰した玉前神社(たまさきじんじゃ)の最寄り駅、上総一ノ宮。

この上総一ノ宮よりも東京に近い駅のひとつに、下総中山がある。

なぜ、千葉の北側(上方)・東京寄りにあるのに下総、千葉の南側(下方)にあるのに上総というか。

それは、冒頭の源頼朝の逃亡ルートにもある通り、相模国などと上総国を結ぶルートは、当時は船で行く海路だった。

房総と当時の都(奈良や京都など)を結ぶさいも、東京湾の海路を介して結ばれていた。

当時、都に近い側を「上」、遠い方を「下」と地名につけたことから、房総への上陸地である木更津寄りが、上総と呼び、海路上陸地より遠い、現在の鉄道路線で東京寄りが下総になったという。

◆上総広常がいた千葉県一宮町、駅名や線路配線の物語「鎌倉殿の13人」電車巡礼
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◆真鶴から房総半島へ、源頼朝 決死の逃亡ルートを鉄道で行くと距離3倍 4時間「鎌倉殿の13人」電車巡礼
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◆酒匂川を渡れず衣笠城に戻った三浦軍、片道50km遠征はいま鉄路で1時間半「鎌倉殿の13人」電車巡礼
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◆東海道線 有名撮影地の車窓に映る、石橋山の戦いの舞台「鎌倉殿の13人」電車巡礼
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