「25里……」 源頼朝を演じる大泉洋が、絶望の表情でうなだれるシーンが印象的だった、石橋山の戦い後の逃亡シーン。

……1100年代後半、平安時代末期から、鎌倉時代を築いた源頼朝(大泉洋)の半生を、坂東武士団(関東勢)の北条義時(小栗旬)視点で描く、三谷幸喜脚本「予測不能エンターテインメント」―――NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

東海道線 早川~根府川の間に架かる石橋橋梁の山間、石橋山の戦いで惨敗した源頼朝率いる北条部隊は、平家側の大軍から逃れるべく、4日ほど山中に潜み、潜伏した土肥椙山巌窟から海へ20kmほど歩き、真名鶴岬(真鶴岬)へと出る。

真鶴岬(神奈川県真鶴町)からは、土肥実平(阿南健治)の案内で、小船に乗ってなんと60km超、荒波を乗り越え、同じ坂東武士団の安房(千葉県南部)へと渡る。

源頼朝らが決死の思いで漕ぎ着けた地が、千葉県 鋸南町 竜島。上陸地が諸説あるなか、いまここに千葉県指定史跡「源頼朝上陸地」が立っている。

現在、海沿いを行く鉄道でこの2点を結ぶと、東海道線 真鶴から横須賀線・内房線の電車に乗り継いで、東京湾をぐるっとまわって210km 4時間の電車旅。

「鎌倉殿の13人」の舞台は、伊豆・相模・三浦半島から房総半島へ

そこを、頼朝らを乗せた船は、鉄路の1/3以下の距離で海路を一直線に結んだ。しかも丸1日かけて。

こうした三浦沖の海岸ルートは、平安時代から盛んに船の往来があったといわれている。

その理由のひとつが、東京湾岸の土地の具合。当時の沿岸地域は、湿地帯が多く、陸路を移動するのが不便だったという。

「汽笛一声新橋を」から始まった、日本初の鉄道 新橋~横浜 も、湿地帯のなかを石垣築堤などで線路を敷いて開業に至った。

最近、土のなかから出てきた高輪築堤も、そんな石垣築堤の名残のひとつ。

―――NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台は、伊豆・相模・三浦半島から、房総半島へ。

千葉の豪族で坂東の巨頭 上総広常(佐藤浩市)や、坂東の重鎮 千葉常胤(岡本信人)は、房総半島へ逃れてきた源頼朝にどう加勢するか。

日本に鉄道が走り始めたのは、源頼朝が海で神奈川県 真鶴から千葉県 鋸南町へと海で渡ってから、およそ700年後。

その逆転劇への最初の着地点となった源頼朝上陸地へは、JR内房線 安房勝山駅から海へ歩いて15分。その周辺には、菱川師宣記念館などもあるから、電車でゆっくり、でかけてみて。